Up 「人づくり」: 要旨 作成: 2016-02-12
更新: 2016-02-12


    現前の「数学教育」は,「人づくり」として立つ。
    この「人づくり」の同型を,「規格品栽培」まで溯行する。


    (1) 「人づくり」の理
    人の系は,家族から国そして国際社会まで,「共同」が基本形である。
    「共同」の意味は,員の「同種」である。
    「同種」は,「人づくり」が実現していることになる。
    「人づくり」は,「共同」の条件である。
    人の系で,共同の系であるものは,必ずその中に「人づくり」がある。

    企業の「人づくり」は,「社員教育」と呼んでいるものがそれである。
    国の「人づくり」は,「国民教育」ということになる。

    国は,共同の系として,「人づくり」の各種装置を設け,これを運用する。
    これらの中に,「数学教育」がある。


    (2) 「人」の規格
    「人づくり」の「人」は,文言で規定するふうにはならない。
    それは,つぎのように示される:
      《<罰する>を以て,「人」の外枠が示される》
    「人」であるとは,<罰せられない>ことである。
    「数学教育」は,<罰する>を,「成績」で行う。


    (3) 「人づくり」の進化
    系は,変動する。
    その中で「人づくり」も揺らぐ。
    即ち,<罰する>の規準が揺らぐ。

    自由主義を立てる国では,国が豊かになる程に,学校教育は相対主義の傾向を強くしていく。
    本来<罰する>が機能であった「成績」が,所在のないものになっていく。
    「数学教育」では,これに対応する格好で,「数学」を「数学的」に替えようとする勢力が強くなる。


    (4) 「規格品栽培」
    「人づくり」は,「規格品づくり」である。
    「規格品づくり」は「規格品工作」か「規格品栽培」であるが,「数学教育」は「規格品栽培」の方になる。
    実際,「人」は,工作ではつくれない。
    相手に成長してもらうことが,「人づくり」の「つくる」である。
    したがってそれは「栽培」である。

    規格品栽培の方法論は,「生育環境の局限」である。
    生育は,<探索─能力陶冶>である。
    探索の環境が広ければ,探索の自由度が高くなり,個は多様になる。
    逆に,探索環境を局限すれば,探索に自由が無くなり,個は一様になる。

    「数学教育」と「規格品栽培」の対応は,「数学教育学」と「栽培学」の対応を導く。
    栽培学は,《個の一様化が,製品の規格化と一致》を実現する<探索環境の局限>を探求する営みである。
    「数学教育学」は,この栽培学《個の一様化が,「人づくり」と一致》を実現する<教育>を探求する営みである。