Up 「一括養成」──適応・不適応 作成: 2015-10-26
更新: 2016-02-14


    「学校」は,人材 (規格品) を一括養成する施設であり,「商品作物 (規格品) を一括栽培する農場」と同型である。
    「一括養成」の実際は,「一括して教える」であり,これが「授業」である。

    「一括」は,つぎの方式でこれを実現する:
      1. 「一斉」(「教室」と「テクスト」)
      2. 「時限」
    ここで,「一斉」の空間表現が「教室」であり,「一斉」の教授内容の表現が「テクスト」である。


    「一括養成」は,「個の多様性」がこれに抗う。
    「一括養成」は,無理である。
    「一括養成」の無理は,生徒の「適応・不適応」の問題になって現れる。


    現前の「数学教育学」は,「数学教育による人づくり」を立てる。
    商品経済では,「人づくり」は,<商品経済の人材>づくりである。
    <商品経済に適応する人>づくりである。

    「数学教育による人づくり」は,生徒を「数学教育」への適応者と不適応者に分けるものになる。
    実際,「人づくり」は,「選別」である。
    このこと自体に是非はない。
    「不適応」は,「不向き」を意味するだけである。
    あるいは,「拒否」(「その方向は自分の進む方向ではない」) の表明である。

      一般に,「適応」は,「特定の系への適応」である。
      これを見るには,系を時空的に拡げたり狭めたりしてみる。
      このとき,適応は不適応になり,不適応は適応になる。
      「塞翁が馬」というわけである。
      そして,「特定の系への」であるから,「不適応」は「不向き」である。


    「不向き」にネガティブな意味合いはない。
    しかし,「数学教育」は,不適応者のことを「数学教育に不向き」とは言えない。
    教育は,一斉教育 (公教育) に「進化」すると,この教育の埒外という存在を認めてはならないものになるのである。
    不適応者は数学教育の失敗作ということになる。
    不適応者は,ネガティブな存在になる。
    数学教育は,不適応者を出さないようつねに改善していかねばならないものとなる。

    教育の埒外という存在を認めてはならない教育は,「縛る・強いる」になる。
    そして,「縛る・強いる」は,不適応者において悪循環する。


    「数学教育」「数学教育学」にとって,「不適応」「悪循環」はどうしようもないものである。
    主題にしてもどうにもならないものであるから,主題にはしないものである。
    ──これは,理である。

    「不適応」「悪循環」は,数学教育学 (数学教育生態学・数学教育普遍学) の主題である:
      数学教育生態学は,「不適応」「悪循環」の現前を論考する。
      数学教育普遍学は,「不向き」ないし「拒否」の普遍的意味を論考する。


    「不向き」ないし「拒否」の普遍的意味は,何か。
    「生態系 - 共生 - 機能分化 - 多様性」である。

    生物の個は,他の個/種との共生で生きる。
    生物の個に「単独」という相は無い。

    共生する個は,機能分化を以て共生する。
    個が身につける能力は,「万能」ではなく「分化能」である。
    生物の個の生き方は,「出世」ではない。
    「ニッチ」である。

    学校教育は,生徒に「出世」を目標にさせる。
    生徒の生物としての DNA は,「ニッチ」にある。
    授業は,「出世」と「ニッチ」の攻防である。
    「不向き」ないし「拒否」は,「ニッチ」の反抗である。