「学校の普遍形」の「学校」を,「商業経済の学校」でも考えておく。
「商業経済の学校」は,「生徒一括・能力選別」と「生業」と「商業経済」の論理積である。
この論理積は,<「改革」の螺旋運動>を導く:
- 学校は,生業として営まれる。
商品経済の生業は,業績を評価される生業である。
生業は,業績づくりで競争する。
これを,「改革」の構えで行う。
- 学校は,その都度最適安定相を実現する動的系である。
「改革」は,学校のいまの安定相の「改革」であり,「無理に作為」になる。
「無理に作為」は,「余計を加える」と「現行を変形する・削る」になる。
こうして「改革」は,「余計が増える」になり,溯っては,「本来あるべきものが無くなる」になる。
- 「改革」の状況は,本来の仕事内容に対し未熟な者や新規参入者には,ありがたいもの (「チャンス」) になる。
彼らが,「改革」を進める者になる。
- 以上のダイナミクスは,「改革」を螺旋運動にする。
学校は,「改革」の螺旋運動にはまっていく。
こうして,「商業経済の学校」の普遍形は,<「改革」の螺旋運動>を含む。
なお,これは生態学の内容ということになるが,学校数学は「数学的○○」を「改革」として用いる。
この「改革」の螺旋運動は,《数学をますます失う》の内容になる。
「余計が増える──本来あるべきものが無くなる」の「本来あるべきもの」が,数学である。
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