Up 形式陶冶 : 要旨 作成: 2016-01-06
更新: 2016-02-27


    生活の各種行動は,それぞれ,<カラダづくり>になっている。
    <カラダづくり>は,能力陶冶である。
    そして,能力陶冶は,「形式陶冶」である。
    ここで「形式」の意味は,「身につくのは内容ではない」である。
    (「形式」は「内容」の対義語)

    数学の勉強は,「生活の各種行動」のうちの一つである。
    数学の勉強は,<カラダづくり>としての「形式陶冶」である。


    形式は,風化造形である。
    経験の風化で残る硬い部分,それが形式である。


    数学の勉強は,その小イベントを捉えて「この勉強にどんな意味がある・何の役に立つ?」と問えば,「意味はない・役に立たない」と答えることになるものである。
    数学の勉強の<意味><用>は,数学の勉強の<無意味><無用>の積分である。

    <無意味><無用>の積分がなったところの数学の勉強の<意味><用>は,<生きる>の内容である。
    <生きる>とは,こういう積分をすることである。

    <生きる>の内容そのものである数学の勉強の<意味><用>は,言語に乗らない。
    実際,言語に乗る<意味><用>は,手段・方法の<意味><用>である。
    数学の勉強の<意味><用>は,<生きる>の手段・方法ではなく,<生きる>の内容である。