Up 「数学を身につける」の失 : 要旨 作成: 2016-01-08
更新: 2016-01-26


    「数学教育」「数学教育学」は,「数学を身につけることは,よいこと」を前提にするものである。
    「数学を身につけることは,よいこと」は,「数学教育」「数学教育学」の無意識である。

    ひとは,<数学を身につける>に対しては専ら得を考える。
    しかし,何かを身につけることは,これまで身につけてきた他のものを損なうことである。
    この先身につけるはずだったものを,失うことである。
    <数学を身につける>とは,こういうことである。
    <数学を身につける>は,得失で考えることである。

    得は考えやすいが,失は考えにくい。
    そこで,いま強いて失を取り上げるとする。


    (1) 表象主義
    世界認識・世界構築に数学を用いる者は,表象主義に嵌まる。
    世界を写す数学をつくろうとする。

    実際には,数学/ことばは,箸や金槌と同じ道具である。
    世界認識・世界構築に数学を用いるときのその数学は,世界認識・世界構築の道具である。
    世界は,道具に写されるものではない。
    特に,世界は,数学に写されるものではない。


    (2) 空虚・不毛な言説をつくる
    数学の言説をつくる者は,哲学の言説をつくる者と同種である。
    彼らは,空虚・不毛な言説をつくる者である。

    空虚・不毛な言説をつくる者は,2種類に分けられる:
    1. 卑近を念頭に,これの形式論・一般論として言説をつくっている。
      しかし,「言説の意味としてその卑近を論述しなければ,言説は読者にとって空虚・不毛」の考えがない。
    2. 「意味」の考えを,端から欠く。
    数学の言説をつくる者は,特に b の傾向が顕著になる。
    実際,「数学に慣れる」とはこういうことである。

    「意味」を欠く形式論をつくってしまうのは,これが容易いからである。
    形式論に「例えば○○の場合,‥‥」(卑近への言及) を伴わせることは,ほんとうに力量のある者ができることである。