Up 数学の教授 : 要旨 作成: 2015-12-15
更新: 2016-02-11


    「数学を教える」の普遍形を,ここで論考しようとする。
    <教える>は,人の<教える>で考えると,本質を捉え損なう。
    <教える>は,生物一般で考える。


    (1) <教える>の存在論
    <教える>の論考は,<教える>の存在論の趣きになる。
    本論考の「<教える>の存在論」は,つぎの構成になる:
    1. 教師の不在
    2. 探索への環境反作用
    3. 共生の相互作用


    (2) 相伝
    「数学を(教える)」は,「数学の伝授」を立場にしていることになる。
    「数学の伝授」の本質的な論点は,「伝授のための伝授」である。

    生物の<生きる>は,<遺伝を成し遂げる>である。
    子を育てない種は,子への伝授内容を遺伝子に込めている。
    子を育てる種は,遺伝子に込めた伝授内容には無いものを,育てている期間に子に伝授する。このとき伝授しているものは,「文化」である。


    (3) 勉強の起動・駆動
    「教授」とは,「勉強」を起こすことである。
    数学の教授は,数学の勉強を起こすものである。

    教授が起こす勉強と,探索としての勉強は,自ずと性質を異にする。
    <教授が起こす勉強に有って,探索としての勉強には求められないもの>の一つに,「開眼」(「目から鱗」) がある。

    「教える」は,相手のカラダへの作用である。
    相手のカラダの工作ではない。
    カラダを工作するのは,あくまでもカラダ自身である。
    そのカラダは,「自分自身を変えるカラダ」である。

    教授の経験を積んでいると,つぎのことがわかってくる:
      《カラダにこんな作用をすると,
        カラダはこんなふうに自分自身を変える》
    これが「教授法」である。