Up | 相伝 : 要旨 | 作成: 2015-10-20 更新: 2015-10-21 |
そして「数学の伝授」の理屈は,「数学がいいものだから伝授する」である。 この立場は,「数学で(育てる)」からつぎのように批判されるものになる:
それ以外の者に対する数学の伝授は,無理矢理をやるものになる。 無理矢理は,やってよいことではない/できることではない。」 しかし,「数学の伝授」の本質的な論点は,「伝授のための伝授」である。 常識は,「伝授のための伝授」を退ける。 本論考は,「伝授のための伝授」の合理化を試みることにする。 生物の<生きる>は,<遺伝を成し遂げる>である。 即ち,個々の生物は,<自分の遺伝子を次の世代に伝える>を自分の生の意味にするように生きる。 <遺伝の輪つなぎの輪の一つになる>が,個々の生物の存在の意味である。 個々の生物の存在の意味は,これ以上でも以下でも無い。 生物種には,子を育てるものがある。 子を育てない種は,子への伝授内容を遺伝子に込めている。 子を育てる種は,遺伝子に込めた伝授内容には無いものを,育てている期間に子に伝授する。 このとき伝授しているものは,「文化」である。 例えば,何を餌とするかの知識は,「文化」である。 子育て生物一般の教育は,文化の伝授である。 この文化の伝授は,
「一般能力」は,文化伝授の後についてくる。 「数学教育学」は,数学教育の定位に対し,つぎの対立図式を用いてきた:
「数学で」: 「数学で育てる」: 「人づくり」 |