Up 「人づくり」と「伝える」 作成: 2015-10-27
更新: 2015-12-12


    「数学教育学」は,数学教育を「人づくり」に定める。
    「人づくり」の「人」を,「数学的○○を身につけた者」にする。
    授業設計は,「数学的○○を身につけた者」をつくるプログラムづくりになる。
    授業は,このプログラムの実現ということになる。

    数学教育の定め方には,「数学を伝える」(「数学を文化として伝える」「数学を生きる糧/術として伝える」) もある。

      「数学を伝える」には「人づくり」の含蓄はない。
      「数学を伝える」が「人づくり」になったとしても,それは結果的にそうなったということである。
      その「人づくり」にしても,「数学的○○を身につける」の「人づくり」とは違うものである。


    「人づくり」は,理が立ちやすい。
    「数学を伝える」は,理が立ちにくい。
    また,「数学を伝える」は,学校教員にはできないことである。
     ( 「数学を教える」は,教員にはできない)
    こうして,「数学教育学」の生態系は,「人づくり」の主題で安定する。
    「数学教育学」が数学教育を「人づくり」に定めるのは,生態系の理というものである。

    数学教育学 (数学教育普遍学) は,「数学を教える」の普遍を,「人づくり」ではなく,「数学を伝える」の方に見込む。


    「伝える」は,ひとを利する行動としては,つぎがこれの思想である:
      《相手の利のために自分が行うことは,伝えるところまで
       ──後は,相手に任せる》
    ここで,「行うことは,伝えるところまで」は,つぎの二つの意味をもつ:
      《やれることは,ここまで
       (自分の力は,これが目一杯)》
      《やっていいのは,ここまで
       (これ以上のことをやるのは,相手にとって迷惑・害)》

    この思想の名前は,「個人主義/自由主義」である。
    対して,「人づくり」の思想は,「全体主義」である。

    従来「数学を・数学で」の言い回しで対立させてきたもの,それは「数学を伝える」と「人づくり」である。
    そこで,つぎの図式になる:
        「数学を(伝える)」 :個人主義/自由主義
        「数学で(人づくり)」:全体主義

    ここで対立しているのは,個人と社会である。
    ただし,個人と社会は,「個人か社会か」のように対立するのではない。
    生きるとは,個人(私) と社会(公) を両立させることである。