Up 教授法 作成: 2016-02-14
更新: 2016-02-14


    「教える」は,相手のカラダへの作用である。
    相手のカラダの工作ではない。
    カラダを工作するのは,あくまでもカラダ自身である(註)
    そのカラダは,「自分自身を変えるカラダ」である。

    教授の経験を積んでいると,つぎのことがわかってくる:
      《カラダにこんな作用をすると,
        カラダはこんなふうに自分自身を変える》
    これが「教授法」である。


    註 : 教員は,自分の拙い授業を合理化する言い草として,よく「教え込みはだめ」を用いる。
    教え込みをしようと思えばできるが,自分はそんなことはしない」というわけである。
    「教え込み」の発想は,「相手のカラダの工作」の発想である。
    教え込みはだめ」を言う者は,「教え込み」があると思っている者であり,したがって「教える」をカラダの工作のように考えている者である。

    「教える」は,相手のカラダの工作ではない。
    教え込みなど,もともとできることではない
    教え込みはだめ」の言い草に対しては,「教え込みができるものなら,こんな目出度いことはない!」の皮肉を返してやるくらいが丁度よい。