Up 勉強の起動・駆動 : 要旨 作成: 2015-12-05
更新: 2016-02-14


    「教授」とは,「勉強」を起こすことである。
    数学の教授は,数学の勉強を起こすものである。

    教授が起こす勉強と,探索としての勉強は,自ずと性質を異にする。
    <教授が起こす勉強に有って,探索としての勉強には求められないもの>の一つに,「開眼」(「目から鱗」) がある。
    教授を生徒がこの先も受けようとするのは,この先につぎの新たな「開眼」が控えていると思うからである。

    「教える」は,相手のカラダへの作用である。
    相手のカラダの工作ではない。
    カラダを工作するのは,あくまでもカラダ自身である。
    そのカラダは,「自分自身を変えるカラダ」である。

    教授の経験を積んでいると,つぎのことがわかってくる:
      《カラダにこんな作用をすると,
        カラダはこんなふうに自分自身を変える》
    これが「教授法」である。