Up 探求──学と思想 : 要旨 作成: 2015-12-28
更新: 2015-12-28


    「数学教育学」の論文は,生業としてつくるものである。
    数学教育学の論考は,《これをつくらないと生業が落ち着かない,生業をやっている自分のアイデンティティが落ち着かない》という理由からつくるものである。

    「数学教育学」の論文は,生業である。
    数学教育学の論考は,探求である。
    二つは,次元の違うものである。


    探求には,さらに,学の次元と思想の次元がある。
    学は,<落ち着かない>を鎮めたくて向かうところである。
    この学の産物として,自分の世界構築の引き出しが増える。
    このカラダが,「思想」である。

    「引き出し」の意味は,「傾向性 (disposition)」である。
    思想は,カラダの傾向性である。


    学は,思想に回収される。
    この意味で,学は思想の入口である。

    「学は思想の入口」と言うと,「どの学を入口にしたかで,思想が違ってくる」「どんな学がよいか?」になりそうである。
    しかし,この場合の学は何でもよいことが,経験的にわかっている。
    「どの入口も出口は同じ」ということである。
    入口は,肝心なことではない。
    肝心なのは,入ってからどれだけ修行ができるかである。

    「形式陶冶」のことばは,この文脈で用いるものである。
    即ち,「どの入口も出口は同じ,ゆえに学は形式陶冶」となる。
    ──「形式」は,「傾向性」と同じである。