現前の「数学教育」「数学教育学」は,商品経済の数学教育・数学教育学である。
実際,現前の「数学教育」「数学教育学」は,商品経済の生業である。
現前の「数学教育」「数学教育学」の捉えが課題になるとき,捉えるものは《「数学教育」「数学教育学」は商品経済のどのような生業か》である。
「数学教育」「数学教育学」は,つぎのような生業になっている:
- 「数学教育」は,「人づくり」を自分の立場にする。
商品経済では,「人づくり」は「商品経済の人材づくり」になる。
「数学教育」は,「商品経済の人材づくり」を生業う。
- 一般に,「人づくり」はアウトプットを表せない。
──この意味で,「数学教育」はアウトプットを持てない。
「数学教育学」は,アウトプットを持てない「数学教育」に対し,アウトプット向上プロジェクトを打ち上げる。
「数学教育」にできもしないことを負わせることは,「数学教育」の<攪乱>である。
しかしこの<攪乱>は,「経済効果」を意義にするものである。
「数学教育学」は,この<攪乱 → 経済効果>を生業にする。
生業は,生業のための生業である。
この意味で,生業は目的をもたない。
「数学教育」「数学教育学」のこの在り方は,どのように見ることになるものか?
本論考は,つぎの言を負うことを含めて,これを「本質疎外」と見ることにする:
「 |
自分は,数学教育・数学教育学の本質論 (「そもそも論」) と商品経済の疎外論を持っている。
この本質論と疎外論に拠れば,現前の「数学教育」「数学教育学」は数学教育・数学教育学の本質疎外である。」
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疎外論は,疎外の理を説くものである。
現前は理の実現というものになる。
疎外論は,現成論である。
実際,本論考は,つぎの形で数学教育学を改めてつくろうとするものである:
本質論 (「そもそも論」) と現成論を統合する理論
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