Up 数学教育学の動機 : 要旨 作成: 2015-12-25
更新: 2015-12-25


    現前の「数学教育」「数学教育学」は,商品経済の生業である。
    それは,商品経済の数学教育・数学教育学である。

    <商品経済の数学教育・数学教育学>は,数学教育・数学教育学の本質疎外である。
    実際,現前の「数学教育」「数学教育学」は,数学教育・数学教育学の本質疎外を現す。

    この認識は,疎外論の構築に向かわせる。
    そしてこれは,数学教育学に「疎外論」の次元をもたせるということである。


    「数学教育学」を生業にする者が生業として行うことは,論文づくりである。
    生業として行う論文づくりは,論文づくりのための論文づくりになる。
    論文づくりのための論文づくりは,「自分は,どんな主題だったら論文をつくれるか?」になる。
    本来は主題の動機があって論文づくりであるが,この順番が逆転する。
    さらに,瑣末な主題が択ばれることになる。
    大きな主題で論文をつくるのは,大仕事になり,相応の能力を要するからである。

    また,瑣末主義は,学術の研究パラダイムになっている<分析──要素に還元>と相応じている。
    「数学教育」は複雑系なので,<要素に還元>の格好がつくれる主題は,瑣末な主題に限られるわけである。

    「数学教育学」が<分析>の営みであるのに対し,「数学教育」は<ノウハウ>の営みである。
    「数学教育」は複雑系であるので,ロジックをこねるよりも<ノウハウ>になるわけである。
    <分析>と<ノウハウ>は,両極端である。
    「数学教育学」と「数学教育」は,隔絶している。

    この認識は,数学教育複雑系の概念の構築に向かわせる。
    そしてこれは,数学教育学に「複雑系科学」の次元をもたせるということである。


    「数学教育」「数学教育学」を生業にすることは,「向上」「進歩」「改革」を考え事業する者になることである。
    数学教育の系は,ライフサイクル/一生をもつ。
    この系で「向上」「進歩」「改革」を事業することは,無理をやることである。
    実際,事業は,はた迷惑で終わる。

    「数学教育」「数学教育学」が「向上」「進歩」「改革」を考え事業をするのは,「ライフサイクル/一生」の考えをもたないからである。
    特に,「死」を考えないからである。

    数学教育学には,「ライフサイクル/一生」「死」の視座が要る。
    これは,数学教育学に「生態学」の次元をもたせるという内容になる。


    「疎外論」「複雑系科学」「生態学」を充足する数学教育学の構築は,「数学教育学」を生業うことと一致しない。
    数学教育学は,「探求」を構えにして,生業の逸脱として行うことになるものである。