Up | 「数学の勉強は必要」の嘘 | 作成: 2015-12-31 更新: 2015-12-31 |
そこで,「これは本当か?」となる。 本当でなければ,騙していることになる。 相手が知らないのをいいことに,騙していることになる。 「これは本当か?」は,二つの取り上げ方ができる。 一つは,「数学の教授が上手くやられているのならそれでよいが,下手にやられているのなら,やらない方がまし」である。 数学の教授は,数学教授の能力がある者のできることである。 教員は,数学教授の能力がある者ではない。 即ち,数学教員養成課程は,数学教授の能力がある者をアウトプットするようにはなっていない。 数学教員養成課程が数学教授の能力がある者をアウトプットするようにはなっていないのは,「数学教員養成課程はやることをやっていない」の指摘が当たるところはずいぶんあるにしても,そもそも数学教授の能力がある者をアウトプットする数学教員養成課程はあり得ないからである。 実際,「Xの職種は,これの一丁前の職人になるのにY年かかる」を,いろいろな職種で考え,その上で数学教員職を考えてみたらよい。 数学教授の能力がある者のアウトプットは数学教員養成課程4年で可能と考える者は,人と数学の両方に無知な者ということになる。
こうなる理由のうちには,《学校数学が受験数学になることは,教員にとってむしろありがたいこと》もある。 数学の教授は,教員の手に余ることである。能力を超えることである。受験数学 (「傾向と対策」) なら,教員にもまだなんとかなる。 「これは本当か?」のもう一つの取り上げ方は,「能力の多様性・相対性」である。 数学は,「自分が数学を知らない・わかっていないことは,放ってはならないこと」となるものではない。 実際,数学がもしこういうものであれば,「自分が‥‥を知らない・わかっていないことは,放ってはならないこと」となるものはいくらでもある。 数学は,確かに,これを知る・わかるようになったら色々よいことがある。 しかし,「数学は,これを知る・わかるようになったら色々よいことがある」は,「自分が数学を知らない・わかっていないことは,放ってはならないこと」ではない。 |