「数学教育」「数学教育学」を生業う者は,「数学教育」「数学教育学」は善いことをしていると思う者である。
この思いは,二重構造である:
- 合理化
「数学教育」「数学教育学」の生業は,この生業の保守を含む。
「数学教育」「数学教育学」を保守する形は,ひとに「数学教育」「数学教育学」は大事・必要と思わせることである。
この<功利>のロジックは,あからさまにできないものである。
そこで,無意識がこれを隠蔽する。
合理化の無意識が働く。
合理化の形は,《「数学教育」「数学教育学」は善いことをしている》である。
- 優越意識
「数学教育」「数学教育学」を生業う者は,「数学教育」を<劣った者に対する指導>に定める。
彼らは,数学を知らない・わかっていない者を,放ってはおけない者にする。
どういうロジックだと,<数学を知らない・わかっていない者>は<放ってはおけない者>になるか?
「数学を知らない・わかっていない者は,人として劣っている者」である。
「数学教育」「数学教育学」を生業う者は,当たり前として,上から目線をとる。
<当たり前>の構えをつくるのは,無意識からである。
この無意識を形成しているものは,「能力の多様性・相対性」の理解の弱さである。
|