Up <分析>と<ノウハウ>の両極端 作成: 2015-12-20
更新: 2015-12-20


    ひとは,人の営みの「改善・向上」を求める。
    このときひとは,「改善・向上を指揮する者」を立て,専門家,識者,行政をこれにあてる。
    即ち,「専門家/識者/行政がプログラムを作成しリードする」を,「改善・向上」のイメージにする。

    「専門家」のイメージは,「その分野の学術の専門家」即ち「学者」である。
    ここでもし既成の学術のなかにピッタリするものがなければ,新たに学が興される。

    こうして,経済学とか心理学とかが興る。
    学校教育に対しては教育学が興る。
    教育学が成ったら,つぎにこれのサブ・ドメインとして,教科教育の学が興る。
    数学教育に対しては数学教育学が興る。


    学aは,人の営みAに対する「Aの改善・向上を担う学」として興る。
    そこで,aを生業う者は,「Aを営む者を指導できる者」の位置づけになる。
    aを生業う者は,同業者の間では「研究者」であり,Aを営む者に対しては「指導者」である。

    aを生業う者は,「研究者」としては,aのパラダイムに則ることを行う。
    そのパラダイムは,<分析> (要素に還元) である。
    一方,Aは<ノウハウ> (経験値) で営む。
    aとAは,隔絶している。
    塵が積もって山になるのは地質年代の時間スパンの話であって,<分析>はこれを積んで<ノウハウ>の高さに至るというものではない。

    aにおける<分析>とAにおける<ノウハウ>の両極端は,分野横断的に見られるものである。
    経済学でも心理学でもそして数学教育学でも,《aはAに係われない》の意味で,「学者」は<分析>に自閉する者である。