Up | 「数学教育」「数学教育学」の定位 | 作成: 2015-11-29 更新: 2015-12-21 |
このようなものとして,数学教育・数学教育学の<本質疎外>態として存在する。 疎外は,是非を言うものではない。 現前は,理の実現であり,即ち現成である。 疎外は,これである。 理の実現であり,現成である。 「是非もなし」である。 「数学教育学」を生業にする/しようとする者は,「数学教育」「数学教育学」の理由づけ,即ち「数学教育」「数学教育学」の定位を,自らに課す者である。 「数学教育」「数学教育学」の定位は,これの「本質疎外」「現成」の定位である。 ストーリーは,「本質は現実条件で歪められる──現前は本質疎外を以て現成」である。 「自分は嘘つきである」が自家撞着の言になるように,「自分は疎外態」は自家撞着の言になる。 そこで,定位は,「数学教育」「数学教育学」の<外>に出て行うものになる。 <外>は,本論考が主題にするところの数学教育学の<内>である。 「数学教育」「数学教育学」の定位を自らに課す者は,数学教育学を行うことになる者である。 |