Up 学会員作法 : 要旨 作成: 2008-08-05
更新: 2015-10-14


    学会の意味 (存在理由・機能) は,《学術論文を自前で出せるようにする》である。
    学術論文の本数を稼ぐ手段として,学会はつくられる。
    学会の意味は,これ以上でも以下でもない。

    学会員は,学術論文の本数を稼ぐために学会員になっている者である。
    学会員の意味は,これ以上でも以下でもない。

    学会は,学会員が学術論文の本数を稼げるように,「学会論文」を定める。
    「学会論文」は,時のパラダイムに従うよう定められる。
    学会員であることは,「学会論文」を受け入れることである。
    論文は「学会論文」としてつくる。
    これが学会員としての作法である。


    自分がいまつくりたい論文は,自分にとってつぎのいずれかである:
      1. 「学会論文」としてつくることができる
      2. 「学会論文」としてつくることができない
    「学会論文」としてつくることができないとき,どうするか?
    自分がつくりたい論文を,先ずつくる。
    それから,「学会論文」バージョンづくりに取り掛かる。
    「学会論文」バージョンづくりでは,論文の基調,ストーリーともども相当曲げることになる。
    これが我慢の限界を超えるときは,「学会論文」は諦める。
    我慢の範囲内であれば,「学会論文」バージョンをつくる。

    「学会論文」バージョンづくりでは,自分が最初につくった論文へのフィードバックが頻繁にかかることになる。
    その度に,最初の論文は改善される。
    即ち,<自分>が改善される。
    また,「学会論文」バージョンをつくっているうちに,こちらの方がよいとなることもある。
    実際,「学会論文」バージョンづくりにおける<基調・ストーリーを相当曲げる>は,<自分>改善の最良の訓練と定め,行うところとなる。


    本論考が数学教育学と定めている数学教育生態学は,「学会論文」に馴染まない。
    この生態学は,現前の「数学教育学」の生態学でもあるからだ。
    生態学は,生態学される側にとって具合の悪いものになる。
    「数学教育学」は「数学教育改良プロジェクト」であり,これは是非・善悪を立てることで成り立つ。
    一方,生態学は,その是非・善悪を相対化する。
    生態学では,「是非もなし」「善いも悪いもない」になる。

    年配の学会員の多くは,これまで「数学教育学」を進めてきて引っ込みがつかなくなっている者である。
    これは,「学会論文」がいまの形で安定していることを意味する。
    そして,数学教育学は,これらのことを生態学の一主題として捉えるものであり,このスタンスを逸脱しようとするものではない。
    こういうわけで,数学教育生態学の論文が「学会論文」としてつくられるようになるとすれば,それは少なくともつぎの世代交代 (「世代忘却」) 後ということになる。