ストーリー | 作成: 2016-03-09 更新: 2016-03-09 |
ストーリーが弱い論文の現前は,つぎのことを示している: 実際,「ストーリー」は,論文の肝心要であるにもかかわらず,思考停止されやすい。 「木を見て森を見ず」というわけである。
森が見えるようになるためにすることは,つぎの二つである: A. 「肝心は,ストーリー」「ストーリーの弱さ」の概念・意識をもつ なお,ストーリーが流れない箇所には,要所がある。 ストーリーに思考停止する者は,ストーリーが流れていないことに気づかない・頓着しない者である。 ストーリーが流れない箇所を,とばしてしまう。 即ち,要所をとばしてしまう。 B. 「ストーリー」の形(かた) を知る ストーリーの<白から黒まで使う>は,構成で<白から黒まで使う>をやるということである。 構成は,起承転結(Aメロ,Bメロ,サビ,コーダ)である。 読者の「それで?」が返ってくるのは,構成が成っていないということである。
弱いストーリーは,構成が成っていない。 構成が成っていないのは,ストーリーの形(かた) を練習してきていないからである。 練習してきていないのは,形が有ることを知らないからである。 形(かた) の基本形は,空手の形が示すように,<自分が勝つ(敵を打ち負かす)ストーリー>である。 数学教育学の論文も,これが基本形である。 ストーリーの基本形は,「批判」(否定) である。 わかりやすく言うと,昔話「桃太郎」である:
配役 悪玉: 鬼 ;愚 善玉: 桃太郎 ;賢 ストーリ 桃太郎(善)が鬼(悪)を退治 ;賢を立てて愚に対する 「批判」は,「善悪」を「賢愚」に変える:
配役 悪玉: 鬼 ;愚 善玉: 桃太郎 ;賢 ストーリ 桃太郎(善)が鬼(悪)を退治 ;賢を立てて愚に対する 「批判」は,あくまでも基本形である。 実際,「批判」にはつぎの重大な難点がある:
無理 (無理矢理) には罰が返ってくる: さらに,批判 は,単純にやると,「イデオロギー闘争」に往ってしまう。 実際,「愚」のレッテルをつけられた者は,「愚」のレッテルをつけられたままではいられない: 闘争が嫌なら最初から批判しない──これが「セクト主義」である。 一つになろうとするから,争いになる。 そこで,争いが起こらないセクトにまで分裂し,「内政不干渉の原則」で共存していく。 数学は,公理主義の規範学であるから,セクト主義にならずに済む。 人文・社会科学は,セクト主義になる他ない。 批判をして闘争にならないようにする方法は,ある。 それは,つぎのものである:
備考. 『数学教育学とは何か?』の方法論
註. 「自壊/自滅」の内容は,§「情況」で論じた。 「現成論」(肯定) は,<理の階層論>が要点である:
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