「方法論」: 要旨 作成: 2016-03-10
更新: 2016-03-10


    おもしろくない論文は,現れても,無いのと同じになる。
    よって,おもしろくない論文は,論文ではない。
    「論文を書く」は,「おもしろいことを書く」を含意する。

    <おもしろくする>は,作為である。
    この作為を,「表現」とよぶ。

    表現は,写実がこれに相対してくる。
    写実から見た表現は,<歪曲・誇張・ウソ>である。
    表現は,《写実を意識して,ウソを合理化する》を含むことになる。
    「ウソ」を「確信犯的ウソ」にして,居直る。
    この「確信犯的」を,「方法論」と自称する。


    方法論をやると,論考している内容が「方法論の素材」のようになる。
    「方法論が主で内容が従」になる。
    この構えが,身についていく/身についてしまう。
    表現者──方法論を通して世界を視る者──は,方法論が<存在>になる/なってしまう者である。
    表現者は,存在論者に往ってしまう。

    写実は,<書く・読む>に対し認識の当否でのぞむ。
    表現者が存在論者になるのに対し,写実者は認識論者である。

    写実から見た表現は,現前を尊重してないふう──不遜・不埒──である。
    反照的に,写実は倫理的になる。
    こうして,<書く・読む>への構え方に,表現/存在論者タイプと写実/認識論者の2タイプが立つ:
      表現者:存在論者:存在の措定を見る:不遜・不埒
      写実者:認識論者:認識の当否を見る:倫理的