情況 : 要旨 作成: 2016-03-10
更新: 2016-03-10


    本論考は,現前の「数学教育」に「盛者必衰の理」を見るものである。
    即ち,「自壊/自滅」のダイナミクスを見る。

    自壊/自滅は,「本質疎外の螺旋運動」がこれのダイナミクスである。
    (ここでは「螺旋」のことばを,「正のフィードバック」の意味で用いる。)
    自壊/自滅 (本質疎外の螺旋運動) は, 「図体拡張」がこれの契機である

    現前の「数学教育」(学校数学) は,「本質疎外の螺旋運動」の契機になる「図体拡張」を孕んでいる:
      1. 数学必修
      2. 歩留まり100パーセント
    どちらも無理な要求であるが,「数学教育」というものは,これを「正義」として絶対的に引き受けることを自分の条件にしてしまう。

    この「図体拡張」により,「数学教育」は「本質疎外の螺旋運動」に入って行く。
    「本質疎外」は,「数学教育」の「数学離れ」である。
    (強調:「数学教育」が,「数学離れ」になるのである。)


    盛者必衰の理」をなぞっているのは,現前の「数学教育学/学会」も同様である。
    「図体拡張」を契機とする「自壊/自滅」(本質疎外の螺旋運動) のラインを描いている。

    「図体拡張」の中身は,論文発表数の増加である。
    こうならせたものは,「業績評価」の時流である。
    そしてこのときの「本質疎外」の「本質」は,つぎのものである:
      1. 研究交流を含めた人の交流
      2. 論文の内容・質


     A. 研究交流を含めた人の交流の疎外
      これのもっとも由々しい事態は,大学研究者と現場教員の共同研究の論文が,いまや歩止まりの悪くなった学会論文発表会から,姿を消していくというものである。
      これはさらに,「数学教育学」と「数学教育」の乖離 (セクト化) の進行──これは螺旋運動する──につながっていく。

     B. 論文の内容・質の疎外
      数学教育学の論文は,つぎを書くものである:
        学校数学は,どうするものか
        学校数学は,どうなるものか
        学校数学は,こうするとこうなる
      しかし現状は,枠組論で終始することが「数学教育学の論文を書く」になっている。

      日本数学教育学会誌には,『算数教育』『数学教育』『論究』の3誌がある。
      『算数教育』と『数学教育』は,小中高教員会員が対象であるので,「学校数学は‥‥」を書いた論文が載るところである。
      この2誌において,掲載論文の少なさが常態化している。

      現前の「数学教育学」は,枠組論に終始することば遊びの論文を専らにし,数学教育から離れて自閉する。
      そして,この事態に,『論究』が一役買う格好になった。

      数学教育学が "publish or perish" になり,学会の論文発表大会は発表論文数が増加する。
      (これには,学生会員の論文発表数の増加が含まれる。)
      学会執行部は,論文の「厳選」でこれに対応しようとし,査読制を導入し,「合格論文」を大会臨時号『論究』に掲載するとした。
      しかしこの効果は,論文受理のハードルが低くなることと,論文評価が減点主義になることであった。
      ここに,枠組論論文は,もっとも確実・安心な論文型になる。
      結果は,「数学教育学」の自閉の一層の促進である。


    盛者は必衰である。
    <衰>は,再生(リセット) が起ころうとする相である。
    <衰>は,憂えることではない。
    <衰>の無いことが,恐ろしいことである。

    数学教育学専攻の大学院生の存在理由は,現前の「数学教育学」の継承 (「細胞の新陳代謝」) が専らではない。
    数学教育学専攻の大学院生は,数学教育学が衰退の螺旋に入るとき,数学教育学の再生(リセット) が起こるよう,用意されている存在でもある。

    そこで,つぎが数学教育学専攻の大学院生の心構えになる:
    • 自分の「論文を書く」が数学教育学の系の「自己参照・自己修正」の内容であることを,心得る。
    • 自分の「論文を書く」が数学教育学のいまの動態への正のフィードバックであるのか,負のフィードバックであるのか,あるいは系の再生(リセット) の芽であるのかを,つねに意識している。