Up 聖職意識 作成: 2017-07-25
更新: 2017-07-31


    数学教育に従事する者は,「数学教育=聖職」の意識を多かれ少なかれ潜ませている。
    数学教育を,正義の実践のように思う。また,思わねばならないと自分を抑圧する。

    正義の意識は,「教育」を「救済」を含む概念にする。
    ドロップアウトは,非である。
    さらに,人を成績で凸凹をつけることが,非になる。
    こうしてこの正義は,突き詰めると,平等社会をゴールにしていることになる。


    平等社会は,幻想である。
    この幻想を実現しようとすれば,世界を破壊することになる。
    よって,「平等社会」の思想は,「イデオロギー」と位置づけられるものになる。

    「イデオロギー」は,「科学」の反対語である。
    イデオロギーを是非を立てる。
    科学は物理を立てる。


    生態系は,ごく少数の「勝ち組」と,それ以外になる。
    鳥の群れは,個々が自由平等を謳歌しているように見えるが,その中では食餌獲得優位のピラミッドが厳然と出来上がっている。
    実際,鳥の群れの維持は,食い扶持減らしで支えられている。
    全体の何分の一しか生き残らない不遇の時節は,集団の持続ということに関しては大事な間引きの時機である。

    勝ち組・負け組のピラミッドは,「これの他ではあり得ない」を含意している。
    「これの他ではあり得ない」を論じたものに,マルサスの『人口論』がある。
    趣旨は,「資源は,僅かを生かせる量しかない」である。
    そしてこれに啓発されたダーウィンが,進化論──実質的に「自然選択」論──を出す。
    その「自然選択」は,「資源は,僅かを生かせる量しかない」が条件になるのである。