Up 「真理探求」 作成: 2017-08-03
更新: 2017-08-03


    数学は,自分を自律的理論体系として現す。
    一方,数学を動機付けてきた精神は,「真理探求」である。
    数学は,「真理探求」を精神にしていなければ,いまの形はない。
    実際,「真理探求」を精神にしなければ,実学や芸事に進む。

    「真理探求」の精神は,自然なものでない。
    自然でないことは,東洋の思想を参照すればわかる。
    東洋の思想は,《最初から世界を複雑系と定め,探求に蓋をする》が傾向としてある。
    色即是空空即是色」「天網恢々疎にして漏らさず」というわけである。

    実際,「真理探求」は,「人が求めれば近づける/届くものとして真理が有る」が前提である。
    この認識は,自然なものでない。
    どうだったら,この認識になるのか。

    いちばん簡単なのは,「この世界を創った者がいる」の考えが持たれているときである。
    このとき「真理」は,「創造の意図・しくみ」のことになる。
    この考え方において,創造者は既に擬人化されている。
    擬人的存在のしたことなら,人はそれに近づき得る/届き得る。

    これは,キリスト教社会の西欧の場合になる。
    ──この解釈に立つと,探求と一神教は寧ろ相性がよいということになる。