Up 「すべてが許されている」を負う 作成: 2017-08-16
更新: 2017-08-16


    自分(個) であることは,「すべてが許されている」を負うことである。

    「すべてが許されている」となるのは,個には意味とか目的といったものは無いからである。
    意味・目的を持てるのは,員である。

    「自分(個)」の反対が「員」である。
    員を務/努めることは,個を埋没させる方法である。
    ひとは,個と員の間を揺れて生きる。


    数学教育は,員として係われば,することが定まっている。
    するべきことをすれば,受け入れられる。
    個として係われば,すべてが許されている。
    そして「すべてが許されている」で事をすれば,受け入れられない。

    <受け入れられない>は,<空回り>ではない。
    <コンフリクト>である。
    数学教育の自己組織化 ──したがって,数学教育の進化──の契機となり得るかも知れない<コンフリクト>である。

    自分(個) であることの醍醐味は,<コンフリクト>にある。
    これをたのしむべし。