Up | あがく新聞は幼稚症に陥る | 作成: 2023-04-25 更新: 2023-04-25 |
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ひとが新しい便利を手に入れることは,新しい犯罪を受け入れることである。 そしてひとは,危ないものを厭わない。 ひとは,危ないものが好きである。 危ないものほど好きだ,と言ってもよい。 インターネットが現れたときも,ケータイが現れたときも,上の記事と同じことが言われた。 唱えるのは,自分の生活が脅かされると思う者たちである。 ひとは,彼らに与しようとはしない。 ひとは,便利を択る。 情報検索ロボットは,レポート作成ロボットに進化する。 それだけのことである。 そして情報検索ロボットからレポート作成ロボットへの進化で危惧されることは,危険が増すことではなく,その逆の危険が減ることである。 真実は,危険に存する。 危険でないとは,偽善だということである。 そもそも,ChatGPT だけが GPT AI なのではない。 GAFA は,巨大な GPT AI を構築・運用している。 ChatGPT と違ってオープンでないから,危ないを言うならこっちの方がはるかに危ない。
GAFA は AI が最終アウトプットなのである。 GAFA には表の顔と裏の顔がある。 ネットからビッグデータを常時漁っているのが,GAFA の裏の顔である, ──表のビジネスがビッグデータを得る巧い方法になっていることを,しっかり見るべし。 そしてこれからは,いろいろな GPT AI がいくつも現れることになる。 AI は,自己分裂しないために,個性的でなければならないのである。 人の多様性の数だけ,多様な GPT AI がつくられていくことになる。 特に,報道AI が現れる。 ひとが求めるものになるからである。 この報道AI に期待することは,新聞のようにならないことである。 「新聞のように」とは? <人を煽動する>に動機づけられており,そして煽動に不都合なデータを無視する (見ても隠す) ということである。 |