読売新聞, 2023-04-09
大学が困っているように思わせる記事だが,これで困るのはつぎの教員である:
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ChatGPT が作成を代行できるようなレポートで成績評価している教員>
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昔の大学には,自分のノートを読み上げて生徒に筆記させることを授業にしていた教員がいた。
そのような教員は,コピー機が一般的になることで,淘汰された。
デジカメは,授業が板書するだけの教員を,淘汰するものになる。
そして ChatGPT は,<ChatGPT が作成を代行できるようなレポートで成績評価している教員>を淘汰するだけのことである。
昔は,専門家とは,<データの独り占め>で優位に立てる者のことであった。
空海が自分の持っている仏典を最澄に貸さなかったという話があるが,それはこういうことである。
インターネットは,この意味の「専門家」を終わらせる。
実際,人文科学くらいだと,一般者のデスクトップは大学教員の研究室と変わらない。
しかもいまの大学教員は,雑用が増える一方で,研究にあてる時間がほとんど無い状態。
インターネットや AI によって大学教員や大学の授業科目が淘汰されていくことは,よいことである。
なぜなら,この状況の反対は,レポートで成績評価をする教員や<データの独り占め>で優位に立つ者が伸す,ということだからである。
学生に対し ChatGPT の使用を制限することは,Wikipedia の使用を制限するみたいなことである。
大いに活用させればよい。
ChatGPT に対して「レポート作成に ChatGPT を使用していないかどうかを如何にチェックするか」の考えに向かうのは,もともとつまらない・不出来な教員だということになる。
彼らに対しては,「成績評価の自分のやり方がどうなのかを先ず考えろよ」と返すのみである。
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