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読売新聞, 2023-04-15
(1面)
(2面)
マスコミの世論誘導の方法は,つぎの3つの組み合わせである:
- 正義を装う
- 自分に都合のよい「専門家」の言を引く
- 日本人の欧米コンプレックスを利用する
大衆は,この安い方法にまんまと乗せられる。
簡単に洗脳される。
上の記事を読んだ者は,「著作権保護」を正義と信じ,日本は EU の AI 規制」を見習わねばならないと思うことになる。
日本の政府は何をぐずぐずしているのだと,憤ることになる。
「AI 規制」は,ビッグデータを既に漁るだけ漁った AI 先行者には,たいして不都合なものにはならない。
これが不都合になるのは,AI 開発・AI 市場で後塵を拝している者たちである。
AI 先行者は,むしろ「AI 規制」によって後発者を抑えることができる。
AI 先行者が「AI 規制」キャンペーンの肩をもつような行動に出ても,まったく不思議はない。
日本は,AI 開発・AI 市場で後塵を拝している側にある。
日本の経済界・政府は,「AI 規制」に対しては専ら日本の不利を見ることになる。
読売新聞はどうかというと,AI によって廃れる業種なので,「AI 規制の動きは何でも自分の味方にする」の構えになる。
「自分の敵の敵は,自分の味方」をやっていくことになる。
さてその「AI 規制」だが,これはことばの独り歩きである。
即ち,その具体的中身は思考停止されている。
そして,物事をめんどうにするだけの規則がつくられる。
その規則は,EU議会や読売新聞が肝心/正義にしている「著作権保護」には,何も効かない。
「独創」というものが,そもそも幻想だからである。
生成 AI の登場で生業が難しくなる「クリエータ」は,それだけのものだったということである。
新しいテクノロジーが登場すると,これによって廃れる職業が出てくる。
「クリエータ」は,《これを危うくするようなテクノロジーからは,守られねばならない》となるような特権的身分ではない。
生成 AI でできてしまうレポートを課題にしたり成績評価に使っている授業も,同様である。
その授業は廃れることになるが,それだけのものだったということである。
どんどん淘汰されて然るべきものである。
「AI 規制」は,物事をめんどうにするだけのばかばかしい規則になるのみだが,日本人はこれの遵守を競い合うことになる。
これが問題なのである。
日本人は,ばかばかしい規則の「ばかばかしい」を考えることができない。
日本人は,《同調圧力に応ずる》を生き方にしている。
自分を縛る規準・規則が無いと,生きられないのである。
自分を縛る規準・規則を自分から求め,そして自分がどんなにそれを守っているかで評価されようとする。
新しいテクノロジーに対し日本は必ず遅れをとるが,それはこの国民性によるのである。
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