Up 右往左往 作成: 2018-10-30
更新: 2018-10-30


「セレクション」を座右にして読まれたし)

    ファーストアルバム (1988) から「生活」(1990) までは,エレカシの才能全開期である。

      ちなみに,わたしがエレカシを最初に見たのは,1988-1989 の年越しロックフェスのようなのがテレビで放映されたときである。
      良いのをビデオ録画するつもりでスタンバっていたのだが,つまらないのばかり。とその中に,際立ったのが二つ現れた。
      エレカシとブルーハーツである。
      エレカシは「おはようこんにちは」一曲,ブルーハーツは「リンダリンダ」ともう一曲 (「TRAIN-TRAIN」?)。
      その後,ビデオで繰り返しけっこう見たものである。 (機器がβだったので,テープは処分して既に無い。)
      エレカシのライブに最初に行ったのは,1991年の日比谷野音。
      まだ,<座ったまま,拍手はしない,アンコール演奏なし>のスタイルのときであった。

    才能全開期ではあるが,その才能は若気の気負い・浅はかとの同居である。さむい作品こもごも。
    それでも「生活」(1990) まではクオリティーを保ちまた高めていく。

    「エレファントカシマシ5」(1992) になって,あやしくなってくる。

    同じことを延々と続けるわけにはいかない。
    アルバム売り上げの問題もある。
    新しいスタイルを加えていかねばならない。
    しかし,これが難しい。


    ポニーキャニオンに移っての「ココロに花を」(1996) と「明日に向かって走れ」(1997) は,売れ線狙いがはっきり入ってくる。
    ポップな曲も上手につくるということで,楽曲づくりの才能を再認識するところとはなるが,エレカシを傑出させてきたものが明らかに後退してしまう。


    東芝EMI・キャピトルに移って,またスタイルに変化が現れる。
    才能全開期は「爆発」がスタイルだったが,これを収める時期が来たということである。

    「ライフ」(2002) は,曲は悪くないが,感心させるというものでない。
    ただし,これは「俺の道」(2003) への助走と見ればよい。

    「俺の道」は,ここまでの自分の総括である。
    曲を挙げれば,特に「覚醒 (オマエに言った)」。
    このアルバムは,掛け値無しにエレカシの傑作である。

    しかし,つぎの「扉」(2004) はよくない。
    傑作の後は,えてしてこうなるものである。

    「風」(2004) で,少し持ち直す。
    「町を見下ろす丘」(2006) は,良い。
    しかし,「俺の道」が既にあるので,どうしてもこれの修飾という感じになる。


    そして,ユニバーサルミュージック・A&Mレコードに移る。

    「STARTING OVER」(2008), 「昇れる太陽」(2009) で,J-POP 路線に乗る。
    これは,自分たちのいいところ潰しになる。
    落ちる先は低迷:「悪魔のささやき」(2010), 「MASTERPIECE」(2012)。
    特に「MASTERPIECE」の低調ぶりは,痛々しい程。

    「RAINBOW」(2015) は,大曲(たいきょく)路線。
    これは,有り体に言って<衰えを化粧でごまかす>路線だが,たしかに大曲はできた。
    J-POP 路線・大曲路線は,「俺の道」とは正反対の方向に振れるものだが,しかしこれは「コンプレックス」を乗り越えるためには必要なプロセス。

    さて,「俺の道」の次段は,<円熟を以てこれを収める>である。
    それが「Wake Up」(2018) で成された。
    原点回帰──原点に覚醒し RESTART する──を<円熟>の(てい)で遂げることが,「Wake Up」を以て成る。
    「Wake Up」は,傑作である。


    エレカシは,初期の爆発,これを収める「俺の道」,そして円熟の「Wake Up」,と進んできた。
    そしてその間を,紆余曲折が埋めている。
    主調 main stream は,() ground を伴うことで,主調である。
    エレカシの主調 <爆発→「俺の道」→「Wake Up」>は,エレカシの<右往左往>と合わさってこそのものである。

    ──見返せば,すべてのことに意味がある。