Up | 著作権産業の終焉 | 作成: 2023-06-12 更新: 2023-06-12 |
その「廃れる」の内容は,「ひとからスルーされる」である。 表現を生成する AI の登場は,著作権産業の終焉を意味する。 この AI は,<著作権を主張する表現>を質において超える表現をつくり,かつ著作権を主張しないからである。 <著作権を主張する表現>は,ひとからスルーされる。 著作権産業の終焉というわけである。 著作権産業は,表現を囲い,囲った表現が引用されることに対し課金し,この課金の回収で生業うという産業である。 生成 AI が登場したこの時代は,表現を囲うということが不可能になる。 囲った表現を超える表現が,囲いの外で大量に生産されるからである。 表現者が自分の表現に自分の名をつけようとするのは,欲である。 しかしこの欲は,自分の表現の引用に対して金をとるというのとは,違う。 ネット上に溢れる表現は,表現者の承認欲求がつくらせている。 その承認欲求が求めているのは,金ではない。 リスペクトである。 著作権産業が囲う表現は,リスペクトのみを求める無償の表現に,質と量の両方で圧倒される。 著作権産業は,自分が囲う表現の優位を立てることができない。 しかし,著作権産業は,これを認められない。 認めることは,自分が終わることだからである。 著作権産業はいま,囲いの外の表現に難癖をつけることに,躍起になっている。 囲いの外の表現に対する抵抗は,この形しか無いからである。 その難癖のつけかたは,つぎの2つである:
「その表現は,パクリである」 しかし,「その表現は,虚偽である」を言い出せば,著作権産業が囲っている表現も「虚偽」である。 実際,新聞の記事は,すべて虚偽である。 表現はひとがこれに意味をつけるのであり,そして意味をつけた途端それは虚偽になる。 「その表現は,パクリである」を言い出せば,著作権産業が囲っている表現も「パクリ」である。 「オリジナル」とは,パクリをブレンドする匙加減である。 生成AI は,「著作権侵害」を簡単にクリアできる。 ブレンドを少し多めにすればよいだけのことである。 実際,生成AI は,既にこれを学習している。 いま「著作権侵害」を指摘されるような 生成AI は,よぼどマヌケだということになる。 著作権産業の「著作権侵害」キャンペーンは,ひとをミスリードする。 生成AI の本当の問題を,見えなくしている。 生成AI の本当の問題は,これが囲い込まれることである。 グーグルが検索エンジンを囲い込んできたように,アップルが携帯アプリを囲い込んできたように,巨大企業は生成AI を囲い込もうとする。 巨大企業は,自社に都合のよい生成AI をデファクトスタンダードにしようとする。 これは,是非のないことである。 巨大企業とはそういうものだからである。 その巨大企業から,生成AI は守られねばならないのである。 その守られる形は,「オープンソース」である。 コンピュータOS の覇権は, Linux の登場で抑えられた。 それと同じことが,生成AI でも興らねばならないのである。 |