Up | 読売<反AI>キャンペーン記事の読み方 | 作成: 2024-05-01 更新: 2024-05-01 |
「生成AI」のことばはミスリーディングである。 「生成」は, 「AI」の含意だからである。 実際,AI のメカニズムはニューラルネットワークであるが,ニューラルネットワークの機能は「生成」である(註)。 読売新聞は,さかんに<反AI>をキャンペーンしてきている。 AI の登場によって困っている者たちを取り上げる。 その<AI の登場によって困る>は,<AI の登場によって自分のやっていることが無意味になるので困る><AI の登場によって自分が要らなくなるので困る>である。 <AI の登場によって要らなくなる仕事がある>から,何を導くか? 読売のように「AI に制限をかけろ」か? しかし「その仕事はもう旧い」を導くというのもある。 英語の学習は,いまでは AI を教師にした方がはかどるし,信用もできる。 実際,学校の英語科担当教員も,いまはネットで勉強しているはずであり,そして勉強しているそのテクストは AI が作成しているのである。 そこで, 「学校教員をバイパスして AI に進んで何が悪い?」となってくる。 ひとは,学校の授業を絶対正義のように思っているが,それは間違いである。 学校に通うことを義務にしているのは,「よい社会人」にするためである。 「よい」の意味は? 「よい」の反対の「悪い」は,「非同調的」である。 教科に対する教員の習熟は,教員養成コースなんかで成るものではない。 そして,授業以外の時間が雑用で埋まってしまう学校は,教科の習熟に取り組めるところではない。 学校の授業の実際がどんなかは,推して知るべしである。 よって,学校の授業よりまさる教育方法があれば,学校と教科教育は分離してよいのである。 そしてこれが,AI の登場によって,まさに起こっている。 物理的な分離は穏やかでないので,行動の次元で分離が進んでいく。 AI に「正解」を作らせ丸写しする生徒は,「教員の評価は必要無い!」と言っているのである。 こういうわけで,読売新聞の<反AI>キャンペーンは,取り上げられる方にとっては痛し痒しのところがある。 「あまり言ってくれるな」となるわけである。 そして,「ニューラルネットワーク」がこれの解決になった。 ニューラルネットワークは,非決定論のアーキテクチャである。 これのアウトプットは,「よい これが「生成」の意味である。 「よい AI の学習は,ビッグデータの学習である。 ニューラルネットワークができても,ビッグデータの学習が可能でなければ,AI の実現は無い。 ここで,インターネットの出番となる。 インターネットで無数の知識データがつながるようになっている。 その無数の知識データにアクセスすることが,そのままビッグデータの学習になる! 実際,そうなっているわけである。 |