Up | 著作権産業の終焉 | 作成: 2023-04-29 更新: 2023-04-29 |
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彼らは,<自分の不都合を理由にしてテクノロジーの使用をやめさせる>はできない。 彼らは,これまでのやり方を捨てることになる。 なぜか? テクノロジーを享受する多数に対し,彼らは少数だからである。 ひとはなぜ表現するか? 表現は,<自分の遺伝子を後世に残す>が変形したものである。 生物は,<自分の遺伝子を後世に残す>を自身の意味とする存在である。 人間は生物である。 よって,自ずと表現に向かう。 ひとは,他人の表現に関心をもつ。 そこで,自分の表現を商品にするという生業が現れる。 それは,著作権を導入し,著作権産業になる。 一方,金抜き (損得抜き) で表現をする者たちがいる。 表現は,自分の遺伝子を後世に残そうとする生物の このような表現は,<ひとは他人の表現に関心をもつ>によって,広まることがある。 インターネットの時代は,<ひとは他人の表現に関心をもつ>によって自分の表現が拡散する可能性が,皆にある。 皆が自分の表現能力に気づき,能力を発揮し出す。 こうしてネットは,著作権産業の商品を凌駕するコンテンツで溢れかえるようになる。 著作権産業は,自己保身に躍起になる。 自己保身に躍起になり,自分の等身大が見えない。
「5069億円」は,「紙の本が買われていたら」の話である。 「ただ読み」は,「別に読まなくて構わない,ただだから読んでやっている」である。 <買う>は,<推し>とイコールである。 ひとは,よほど推すものでなければ,買うには及ばない。 そしてひとは,内容を知らないものは買わない。 著作者は,《ただ読みで自分を知ってもらい,自分のファンになってもらい,紙の本を買ってもらう》しか無いのである。 日本の漫画のいまの世界的盛況は,海賊版サイトの貢献が大きい。 ひとは偉くなると,自分が世話になった者を忘れる。 著作権産業は,傲慢なのである。 著作権産業の傲慢は,インターネットの時代には通用しない。 ただ読みしてもらおうとするライターが,ただ読みサイトを利用するようになる。 そしてそこは,優れたな作品で溢れかえるようになる。 ラスコーの壁画がかっこいいのは,金や損得の臭いがしないからである。 バンクシーが自分を名告って作品を売り出したら,白けるだろう。 ひとが他人の表現に関心をもつとき,その表現は<コントリビューション/ドネーション>の趣きであることが必要なのである。 インターネットは,そのような作品で溢れかえっている。 そのような作品を素人がつくる安物と思ってはならない。 コントリビューション/ドネーションの方法はオープンであり,この方法が作品を時々刻々進化させる。 こうして,オープンなものがいちばんになる。 Linux 然り,Wikipedia 然り,そしていま読売新聞が躍起になって叩いている ChatGPT 然りである。 ひとのオリジナルは,他からのパクりである。 パクられることは,<自分の遺伝子を後世に残す>であるから,表現にとってこれは本来よいことである。 実際,ChatGPT に大いにパクってもらおうとすることが,これからの大きな流れになる。 著作権を居丈高にかざす者は,スルーされるだけである。 著作権産業は,囲い込みが成立する時代に成立した。 インターネットの時代は,囲い込みは成立しない。 ChatGPT や「タダ読み」サイトを使いこなせない著作権産業は,終焉する。 反 ChatGPT キャンペーンに躍起の読売新聞は,この類である。 |