Up | 「人間とは何か」 | 作成: 2019-05-12 更新: 2019-05-12 |
タイトルの趣意は,《これまで「人間らしさ」と称してきた領域にが AI にどんどん進出するようになって,「人間」とは何かがわからなくなってきた》である。 「人間ってナンだ?」は,「人間」イデオロギー (幻想) に遠慮した控え目な物言いである。 「人間」イデオロギーとは,「人間は機械じゃない!」を唱えて自足する思考様式──思考停止──がこれである。 しかし,「人間らしさ」に進出している AI も,機械である。 AI は,「人間は機械じゃない!」の謂う「人間」を,つぎつぎと模倣していく。 AI の進化は,「人間らしさ」を唱えることの虚偽・欺瞞を暴露する。 こうして,「人間」イデオロギーは,自分の所在を無くしていく。 これはあながち悪いことではない。 イデオロギーは,根っこがルサンチマンだからである。 ここに顕在化したのは,「機械」の二つの意味である: この違いは,つぎのように簡単に言うことができる: 言語論理機械の実現形式は,フォン・ノイマン型コンピュータである。 パターン認識機械の実現形式は,ニューロネットワーク型コンピュータである。 そして今日,IT の劇的進化により,ニューロネットワーク型コンピュータが「ディープラーニング AI」として実現されるはこびとなったわけである。 実際,人間の認知・思考様式を意識したニューロネットワーク型コンピュータのアイデアは,ここ最近のものではない。 1900年代後半には「コネクショニズム」のタイトルでこれの探求があった。 ニューロネットワーク型コンピュータは,学習型コンピュータであることはわかっていた。 しかしその学習は,ビッグデータが素材になる。 当時のIT水準では,ビッグデータの収集も処理も不可能であった。 こうして,その取り組みは技術的限界から進展しなかった。 翻って,今日のAIの成功は,ビッグデータの収集・処理が可能になったためである。 「人間は機械じゃない!」は,「人間は言語論理機械じゃない!」である。 そしてこれは,「生命は言語論理機械じゃない!」を言っているのと同じである。 「言語論理機械じゃない!」を言うことが「人間」を宣言することになるわけではない。 「言語論理機械じゃない!」はミミズも同じである。 人工知能や人工生命の登場で顕在化した「人間とは何か」は,却って「人間を他の動物とは違うもののように見せているものは何か」である。 そしてその何かは,「言語論理機械」である。 皮肉だが,「人間」イデオロギーが「人間らしさ」を守ろうとして却けるもの──それは「言語論理機械」の意味の「機械」──が,「人間らしさ」になるのである。 |