Up 「総力」煽動体質 作成: 2024-04-26
更新: 2024-04-26


読売新聞, 2024-04-26



    「総力」のことばを使って国民を煽動する者は,国が何かをわかっていない。
    読売新聞は,この類である。

    「総力」のことばを使うことのできる集団は,会社である。
    会社の員は,「総力」のことばが使われるのを承知で員になっていることになる。

    国は,会社ではない。
    国民は,「総力」のことばが使われるのを承知で国民になっているわけではない。
    「総力」が言われると,必ず外れる者がいる。

    必ず外れる者がいるのに「総力」を立てることを,全体主義という。
    「総力」を立てる国は,全体主義の国である。


    一般に,個の集団は, 「総力」が言われると必ず外れる者がいる。
    これを「個の多様性」と言う。
    「民主主義 democracy」は,「個の多様性」に立脚する国運営の方法論である。
    「個の多様性」が前提だから,多数決が政治の第一原理になる。
    民主主義国家は「選挙」で国の運営者を選ぶが。これは「国民主権」と「多数決」を合わせているわけである。

    民主主義の国では,国民は多数決に従わねばならない。
    ただしこの「従う」に, 「総力」の意味は無い。
    「法に触れない」の枠内で従わなかったりサボったりすることが,当然ありなのである。
    実際,多数決のいまの勢力図は,次回は逆転するかも知れないのだから。


    読売新聞は,「総力」から外れることになる者について考えることができない。
    「総力」が実際のところどのくらいの数になるのかを,考えることができない。
    考えることができれば,「総力」なんてことばは使えないからである。

    読売新聞が「総力」のことばを使うのは,インテリジェンスの無い(てい)である。
    未熟な者は,物事を「正しい・正しくない」にする。
    そして,「自分はいつも正しい側に立っている」をポーズする。
    読売新聞は,これである。