Up | 都市の「少子化」機能 : 要旨 | 作成: 2023-03-10 更新: 2023-03-10 |
若者は,何も持たない者として,大人に負ける。 しかし,大人が持てないもので若者が持てるものがある。 自由である。 そして,その自由を持てるところが,都市である。
若者とは,モラトリアムの状態にいることである。 都市は,出身が意味をもたないところであり,したがって出身が問われないとことである。 家・地元を出て都市に向かうのは,何者でもなくなるためである。 何者でもない若者が都市ですることは,キャリア形成である。 都市は,出身ではなくキャリアが意味をもつ。 こうして,自由の中身は,他との競争に変わっていく 地方が同調するところであるのに対し,都市は競争するところである。 競争する者は,都市を「生き馬の目を抜く」ところとして生きる。
都市は,歳をとると苦手なものになっていくが,若者には合っている。 一方,都市は,若者にとって営巣に不向きなところである。 都市では,若者は何も無いところから出発する。 営巣するためには,営巣にかかる金を稼げる者にならねばならない。 そして,若者はそもそもキャリア形成するために都市に出てきたのであった。 キャリア形成と営巣は両立しない。 2つは,本質的に絶対矛盾である。 こうして,都市は婚姻率,出生率が低いところになる。 そして,地方もこれに引き摺られる。 若者が都市に流れることは,地方に若者がいなくなることである。 絶対数の少ない種は,絶対数減少と出遭い減少が互いにフィードバックするダイナミクスにより,絶滅に向かうスパイラルに入る。 統計では,婚姻率・出生率の低下が地方と都市で並行して進行しているように見えるが,そうではない。 都市は若者を吸い寄せ,そして若者を<子どもをつくらない者>に仕向ける。 いまの「少子化」は,都市の「少子化」機能によるのである。 地方は,都会人が思うような<自然が豊かな好ましいところ──ただ色々不便があるところ>ではない。 若者が家・共同体に縛られるところである。 若者は,この束縛から逃れるために都市に向かう。 こうして「少子化」は,閉じた系の中では,行き着くところまで行くのみである。 |