読売新聞, 2023-03-29
国は,自活できれば,生きられる。
自活の最低ラインは,衣食住の自給自足である。
要は,贅沢を言わないことである。
日本は,衣食住の自給自足をしないことにした。
即ち,外国から物を買って済ますことにした。
外国から物を買う金は,<商い>でつくる。
外国から物を買い (輸入),付加価値をつけて外国に売る (輸出)。
輸出で得た国際通貨は,銀行でこれを円と交換する。
国際通貨は,銀行に入る。
輸入は,円を国際通貨と交換して,国際通貨で物を買う。
輸出で得た国際通貨額が輸入で失った国際通貨額より多ければ,<商い>立国は成立する。
しかし日本は,このやり方がダメになってきた。
自国の産業を衰退させるとともに,商いで外国に負けるようになってきたのである。
そしてこれに,国の超高齢化が重なる。
超高齢化は,「社会保障」の支出が多いということである。
国庫は,入るより出る方が多くなる。
これをなおす方法は,出るを減らし入るを増やすことである。
入るを増やすは,増税である。
しかし国民は,出るを減らす・入るを増やすの両方を,拒否する。
そこで,「国債」という方便を用いて,金を造る。
金を造るのは,造作ない。
キーボードで「何兆円也」を入力するだけである。
金の給付は,給付対象者の銀行口座への「何円送金」の送信である。
国から給付金を得た者は,これを消費にまわす。
こうして,ただで造った金が,市中に流れる。
今日は,「金が市中に流れる」は紙幣硬貨の移動ではなく,「何円也」の通信である。
こうして,「ただで金を造った」は完璧にカモフラージュされる。
ロジックでは金の価値が減少していることになるが,金とか価値とかは本質がもともと幻想なので,金の価値が減少は容易にはバレない。
ただし,ただで造った金の額は「国の借金」という形で計上されるので,金の価値の減少がバレるきっかけになる。
念のため。
ひとは「国の借金」と聞かされているが,国の借金ではない。
ただで造った金の額である。
政府は,税収入をはるかに超える額の支出を,平気で予算に組む。
金を造ればいいだけのことだからである。
「国の借金」ということばを用いるのは,「ただで造った金」だと違法に聞こえるが,「国の借金」だと合法に聞こえるからである。
「国の借金」の多さは,日本が断トツである。
こんな国は,少なくともいわゆる「先進国」には無い。
日本は,異常な国なのである。
一方,政治は,国の予算の「過去最大更新」にすっかり慣れ,人気取りのために給付金の増額をあたりまえにするようになっている。
国が閉じていれば,これはひどく大きな問題にはならない。
問題は,外である。
はじめに述べたように,日本は自給自足は捨てて,外国から物を買って済ますことにした国である。
外国から物を買う金を,商いでつくることにした国である。
これは,円と国際通貨の交換レートが狂ってしまうと,成り立たない。
円と国際通貨の交換レートは,どのように決まるか?
ひとの気分で決まる!
繰り返すが,金とか価値とかは,幻想がこれの本質である。
そして幻想は,簡単に壊れる。
円と国際通貨の交換レートは,日本が外国から「危ない」と見られた途端,円安になる。
そして外国はずっと,日本の商いが傾いてきていること,そして「国の借金」(ただで造っている円の額) が異常であることを観察している。
よって,何かのきっかけで,円安が一挙に来る。
こういうわけで,国の財政は,国民に迎合するばかりでは成り立たないのである。
しかし政治は所詮「わが身大事」の人間のすることなので,国民に迎合する一方となる。
ここは, 「是非も無し」と達観するしかない。
生き物は,将来に備えるということはしない。
生き物は,成り行き勝負である。
これに倣うのみ。
災難に逢ふ時節には災難に逢ふがよく候。
死ぬる時節には死ぬがよく候。
是はこれ災難をのがるる妙法にて候。 |
良寛 |
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