Up 「○○家の墓」の終焉 作成: 2023-04-08
更新: 2023-04-08


    日本では,「○○家の墓」がひとを家に縛りつける装置になってきた。

    これのもとは,檀家制度である。
    檀家制度は戸籍制度であったため,ひとはこれに従うのみとなった。
    そして,先祖代々の墓 (「○○家の墓」) が,檀家を固定する方法になった。
    ひとは墓を質に取られている格好になる。
    そして,《寺の縛りから脱ける》をあり得ないことと思うようになっていく。


    しかし,親の寺との係わりは,子にとって関係の無いことである。
    親と寺の係わりは,親で終わりとなるものである。
    子は,寺に対し何も負わない。
    寺は,「○○家の墓」のことで子に何かを要求するというものではない。
    ひとは「墓を自分とは係わりのないものにするときは,離檀料 (永代供養) が発生する」と思っているかも知れぬが,そう思わされてきただけである。

    家が終焉する時代は,このことがはっきりする時代である。
    ひとは,「○○家」が無いのがふつうになる。
    そしてこのことは,特に「○○家の墓」が無くなることである。


    寺の縛りが無くなれば,墓に意味を措くことも無くなる。
    骨に意味を措くこともなくなる。

    死んだ者に対し,信じてもいない「あの世」とか「仏(ほとけ)」のことばを用いたのは,同調圧力が理由である。
    その同調圧力の場が,葬式仏教であった。
    その葬式仏教が,家の終焉で無くなる。
    こうして,「あの世」とか「仏」も無くなる。


    「あの世」とか「仏」が無くなることは,すっきりすることである。
    もともとブッダの思想には,「あの世」とか「仏」とかは無い。
    「あの世」とか「仏」は,寺の僧を生業とした者がこれをつくったのである。

    実際,ブッダが説いたことは「出家」であり,「出家」の意味は「家を捨てる」である。 ──仏教は,ブッダをひっくり返すことしかやっていない。