Up | 食糧欠乏 : 要旨 | 作成: 2023-04-05 更新: 2023-04-05 |
20代だと 11 万人で,これは 20代就業者全体の 1 %。 男女で見ていくと,男 9 万人,女 2 万人 である。 日本は食糧を輸入に依存する国であるが,輸入依存度はますます高まることになる。 翻って,輸入依存が叶わなくなるとき,日本は食糧欠乏の国になる。 そして時代は,輸入依存が叶わなくなる方向に進んでいる。 輸入依存が叶わなくなるのは,どの国も日本と似たり寄ったりになるからである。 いま産業が躍進中の国も,国民の生活水準の向上とともに,食糧を輸入に頼るようになる。 こうして,食糧の取り合いが起こる。 そして食糧獲得競争に負ける国は,食糧欠乏国になる。 食糧輸出は,自分の身を切って売るようなものである。 技術革新による増産は,たかが知れている。 たかが知れているというのは,いまの生産量の<ひと桁倍>止まりということである。 十の桁にはならない。 ところが,食糧輸入国が求める量は,その<ひと桁倍>を超えてしまう。 このことは,中国一国を考えただけでもわかる。 中国は巨大な食糧輸入国になる。 そして,強化に努めてきた国力・財力を以て,食糧争奪戦の優位に立つ。 食糧争奪戦による輸入食糧価格の上昇は,既に始まっている。 ひとはいまの食糧価格の上昇を何かのアクシデントだと思っているが,これは構造的な食糧価格上昇の始まりである。 ひとは,店の食品棚に騙される。 店は食品で溢れている──ように見える。 しかし,それは花畑と同じである。 植物は,虫を引き寄せるために,花を進化させた。 店は,人を引き寄せるために,商品パッケージや店の装飾を進化させた。 店は食品で溢れているのではない。 かつかつの食糧事情が,虚構・虚飾に隠されている。 漁業は,乱獲がたたって,終焉のステージに入っている。 農業も,一旦捨てられると,元には戻らない。 農業は,伝承技術である。 マニュアルではできない。 実際,マニュアルでできるとは,機械化できるということである。 機械化できることが,マニュアル化できるということである。 ところで機械は,自然がこれを壊す。 よって,機械のあるところは,人工遮蔽物で囲ったところである。 農業は,自然に曝されてなんぼである。 機械の対極に位置するのである。 食糧欠乏の日本はどのようにして生きることになるか。 食糧欠乏を常態として生きることになる。 実際,その食糧欠乏は,たかが知れている。 飽食を常態としたときの「食糧欠乏」だからである, ひとは地方から都会に流れる。 これは都会が栄え,地方が陰っているように見える。 しかし産業衰退・食糧欠乏の時節は,地産地消の地方が優る。 生物進化は,弱肉強食ではなくて,強者が必ず滅びるように出来ている。 そして強者の陰に潜んで生きた来た弱者の中から,つぎの強者が生まれる。 地方と都市の関係もこれである。 メディアは「南海トラフ地震」の危機を煽り,吾賢げに防災をキャンペーンしているが,これは大都市の大震災と比べたら,まだどおってことはない。 大都市の大震災のいちばんの問題は,所謂「復興」ステージでの人の行き場である。 「高台に移転」を唱える「防災専門家」に騙されて復興を遅らせる類の愚劣はさすがに無くても,ひとは「復興」を待ってはいられない。 日々の生業をしなければならない者は,速やかにその地を去る。 「復興」をずっと唱え続けるのは,地元では公務員と就労が無用の者。これに善意のよそ者と利権が加わる。 しかし例えば東京だと,日々の生業に窮する者の数が,直接で百万単位,関接では千万単位になる。 このときの人の行動をシミュレーションできる者はいない。 「専門家」やメディアは「命を守る行動」を唱えて仕事をした気でいるが,問題は「その このとき,食えなくなった者の中から,農業をやろうとする者が少なからず出てくる。 彼らは,農業の真似事から始めることになるが,だんだんと成長する。 こうして,どのくらい続くかはともかく,地方の時代になる。 少子化対策は,「食糧事情はいまのままが続く」を前提にしている。 しかし,「食糧事情はいまのままが続く」とはならない。 また,人口増加が食糧生産者の増加につながるわけでもない。 ──子育て支援されて成人した者は,食糧生産業には就労しない。 食糧欠乏の時代を見越すならば,少子化は結果的に正解であることになる。 「人間万事塞翁馬」 |