Up | 「2023年 出生数最低75万人」の存在論 | 作成: 2024-03-05 更新: 2024-03-05 |
「少子化」対策は,前提が「ひとは子どもが欲しいが,金銭的余裕がないので子どもをつくらない」である。 これは,とぼけているのである。 問題の本質を取り出すと,何もできなくなるからである。 問題の本質を取り出すのは,国民教育上よろしくないからである。 「結婚したくない理由」となっているのは,そのまま「子どもを持ちたくない理由」である。 「少子化」は,人の気持ちが「子どもは別に持たなくてよい」に進んでいるということである。 この時代は子どもを持つことに「メリットを感じない」。 子育てはたいへんであり,「行動や生き方が制限される」。 自分の人生は「自由や気楽さを失いたくない」。 自分の生は,人間以外の生物においては,その意味を問わないものである。 育児は,人間以外の生物においては,その意味を問わないものである。 ひとは,自分の生や育児の意味を問う。 こうなったのは,ことばをもったためである。 ことばを使うことは,ロジックを自律的に操ることである。 これは,観念論をやるということである。 そして,自分の生や育児の意味を問うまでになる。 意味を問うとどうなる? 無意味を認めるばかり。 実際,生物の生・繁殖は,DNA のプログラムである。 それは,DNA の都合である。 自分の都合ではない。 また,「結婚すべし」「育児すべし」は,国・社会 (共同体) の都合である。 自分の都合ではない。 ひとは,自分の都合を大事にするようになる。 これは,DNA の都合,共同体の都合への反逆である。 ひとは,DNA,共同体の束縛から自由になろうとしている。 「少子化」は,自由を求める個の数が増えているということである。 是非も無し。 |