読売新聞, 2023-03-19
地方の人口減少は,「少子化」ではなく,「若者の流出」である。
子育てしているその子は,やがて地方を出る。
地方は高齢者だけになり,子づくり・子育てが無くなる。
こうして地方は,終焉する。
「少子化対策」の「子育て支援」は,地方の場合は,<大きくなると地方を出て行く子ども>を育てることへの支援である。
地方の「子育て支援」は,地方の人口減を止めるという話ではない。
<高齢化→終焉>の構造は,1ミリも変わらない。
地方の人口減少は,都市では普通のインフラや施設が地方には無いからではない。
その地方はなぜ以前は人口が多かったのか?
労働者を多く必要とする産業があったからである。
産業が,人を呼び込む。
逆に,その産業の終わる時が,地方の終わる時である。
ひとが生きるのは,産業があるところである。
住み心地で居所を定めようとする者は,退役者だけである。
かつて,地方の時代があった。
それは,地方産業の時代である。
北海道がわかりやすい例になる。
北海道は,石炭が産業になった。
北海道で続々と廃線になっている鉄道は,石炭輸送のためにつくられた鉄道だったのである。
それは,山の奥深くまで伸びることになる。
小樽はいまは観光で生きようとしているが,もとは石炭の積み出し港として栄えたのである。
産炭地と離れたところに立った市町村は,石炭産業のロジスティックのノードとして興ったのである。
石炭産業は,林業を興す。
炭鉱の坑木や労働者の家屋に,木材が大量に必要になるというわけである。
石炭産業は,やがて終わる。
石炭産業は,<石炭から石油・ガスへ>の流れによって,終わりとなった。
そしてこれに,林業の終わりが続く。
北海道には,もう1つ,地方の時代をつくる産業があった。
漁業である。
こちらの方は,乱獲によって獲れなくなり,終わりに向かっている。
こうして,北海道の産業としていまあるのは,農業 (畜産業を含む) だけである。
衰退する地方は,観光産業で生き延びようとしているが,実際これしかないわけである。
北海道もこれである。
グローバリズム時代は,多くの労働者を必要とする産業が日本から無くなる時代である。
そのような産業は,外国まかせになる。
実際,昔の鉱夫のような肉体労働者になろうとする者は,いまの日本にはいない。
大きな労働力を必要とする産業の創出があっても,それは機械化・無人化をソルーションにすることになる。
「多くの労働者を雇用する」の考えには向かわない。
つまり,日本のどこを叩いても,地方の時代の再来は無いというわけである。
これがいまの状況である。
人口システムは,与えられた状況の適正人口に向かう。
「少子化」は,このプロセスに乗っていることになる。
──「天網恢々疎にして漏らさず」の「天」は,<無意識>のことである。
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