Up 「少子化」の科学は,統計にあたることから 作成: 2023-03-12
更新: 2023-03-12


    「少子化」を調べることは,統計にあたることである。


    ひとは,統計にあたるということをしない。
    本来学校がこれを教えることになっているのだが,教員も統計にあたるということをしない。
    なぜか?
    ひとは,イデオロギーにつくことで,真実を得ていると思ってしまうからである。

    こうしてひとは,「少子化」をイデオロギーで考える。


    自由とは,イデオロギーから離れていることである。
    <イデオロギーで考える>から脱ける・離れているための方法は?
    それが科学である。
    自由であるためには,科学しなければならない。

    ヨーロッパの科学は,教会に迫害されてきた歴史がある。
    逆に,この迫害に揉まれて強くなったという面がある。
    科学はなぜ教会に迫害されるか。
    教会はイデオロギーであり,科学は反イデオロギーだからである。


    「民主主義」は,主体と定められた民が賢くなければ成立しない。
    こうして民主主義は,公教育が根幹になる。
    この公教育は,個人に科学する力を陶冶して,イデオロギーに洗脳されないようにすることが目的である。

      この理念が説かれている文献としていちばんに上げられるのが,J. Dewey の "Democracy and Education" である。
      「民主主義」の意味を知りたい向きには,これは必読書になる。
      ただし困ったことに,邦訳がなっていない。
      「なんでこんな和文になるのか」といった代物であって,読んでも誤解にしかならない。──どのみち読める文章ではないのだが。

    しかし「民主主義」は,社会主義イデオロギーが自分がこれであると僭称するようになる。
    そしていまに至る。

    社会主義は,社会正義を立てる。
    民主主義は,正義をイデオロギーとして退ける。
    民主主義の哲学は,プラグマティズムである。
    民主主義が立てる政治原理は「多数決」であるが,これはプラグマティズムに拠るのである。

      プラグマティズムは,アナキズムと紙一重である。
      民主主義は,アナキズムと紙一重なのである。
      しかしひとは,物事に善悪をつけるという形でしか,物事を考えられない。
      民主主義は,ひとにとって困難な課題である。
      ひとは簡単にイデオロギーに洗脳されてしまうが,無理もないことなのである。


    現前の「少子化」の議論は,イデオロギーである。
    「少子化」とは何かを知ろうとすれば,自分で調べるしかない。
    そしてこれの第一は,統計にあたることである。

      基本となる統計