Up 中間型 作成: 2021-08-25
更新: 2021-08-25


      Dawkins (1986), pp.415-418.
    現生の鳥類と、哺乳類のような現生の非鳥類との区別は、遡れば共通祖先にまで収斂する中間型たちがすべて死んでいるからこそ、明快なものなのである。‥‥
     現生の動物だけでなくいままでに生存したすべての動物について考えると、「人間」とか「鳥」といった言葉は、ちょうど「背が高い」とか「太った」とかの言葉と同じように、その境界のところではぼんやり不明瞭になってしまう。
    動物学者はある特定の化石が鳥であるかないかについて、決断を下せないながらも論じることはできる。
    実際、彼らはしばしば有名な始祖鳥 (Archaeopteryx) の化石をめぐってまさにこうした問題を論じてもいる。
    もし「鳥類か、非鳥類か」が「背が高いか、低いか」よりもはっきりした違いだとすれば、それはひとえに「鳥類か、非鳥類か」のばあいには扱いにくい中間型がすべて死に絶えているからなのである。
    奇妙な選択性をもった疫病が襲ってきて、中くらいの背の高さの人を全部殺してしまえば、「背が高い」とか「低い」というのは、「鳥類」とか「晴乳類」と同じ程度に正確な意味をもつようになるだろう。
     ほとんどの中間型がいまでは絶滅しているという好都合な事実によって、はじめて扱いにくい暖昧さから救われるのは、何も動物学上の分類にかぎった話ではない。
    人間の倫理や法だって同じだ。
    われわれの法体系とか道徳体系は強く種に縛られている。
    動物園の園長は必要以上に増えたチンパンジーを「処分」する資格を法的に与えられているが、彼が余剰人員となった飼育係や切符売りを「処分」しようなどと言いだしたら、信じられない非道行為だと怒号を浴びせかけられるのがおちである。
    チンパンジーは動物園の財産だ。
    今日、人間が誰かの財産だとされることはないだろうが,それでもチンパンジーに対するこのような差別の合理的根拠がはっきり説明されることはめったにないし、そこに擁護できるような根拠がほんとうにあるのかどうか、私には疑わしい。
    キリスト教思想を吹き込まれたわれわれの態度のなかにある、はらはらするようなヒトの種中心主義はかくのごとしなので、人間の一個の接合子の中絶 (接合子の大半はいずれにせよ自発的に流産される運命にある) が、知性をもったチンパンジーの成体がいくらでも生体解剖されているということよりも、ずっと道徳上の憂慮や義憤を喚起させうるのだ! 私はかつて、なかなか立派で自由な気風をもった科学者たちが、実際には生きたチンパンジーを切りきざむつもりなど少しもないのに、その気になれば法による干渉なしにそうする()()があると、激しく擁護するのを聞いたことがある。
    そうした人々は、往々にしてごくわずかな()権侵害にもまっさきに憤慨する人たちである。
    われわれがこのような二重規準(ダブルスタンダード)上に安住していられる唯一の理由は、ヒトとチンパンジーの中間型がすべて死に絶えていることでしかない。
     ヒトとチンパンジーのいちばん新しい共通祖先は、おそらく500万年ほど前という最近の時代に生きていた。
    それは、チンパンジーとオランウータンの共通祖先が生きていたのよりたしかに新しいし、チンパンジーとサルの共通の祖先が生きていたのよりもたぶん3000万年は新しい。
    チンパンジーとわれわれは、その遺伝子の99パーセント以上を共有しているのである。
    かりに、世界中のあちこちにある忘れられている島々で、チンパンジーとヒトの共通祖先に遡るまでのあらゆる中間型の生残者が発見されたとしよう。
    そこでは、その推移系列に沿って何がしかの交雑が起きていたりするだろう。
    その場合、われわれの法や道徳上の習慣が大いに影響を被ることを誰が疑いうるだろうか? こうなったら、この推移系列全体に完全な人権を認めなくてはならない (チンパンジーに選挙権を!) か、念の入ったアバルトへイト式の差別法体系と特定の個人が法的に「チンパンジー」なのか法的に「ヒト」なのかに判決を下す法廷を設けなくてはならないか、どちらかだ。
    人々は「彼ら」の一人と結婚したいなどと言いだす娘を抱えて悩むはめになろう。
    まあ、世界はすでに十分探検しつくされているので、こんな空想的な懲らしめに満ちた世界がいつかほんとうにやってくる望みはないだろうとは思う。
    だが、人「権」についてはわかりきった自明のところがあるとお考えの方は、こうした厄介な中間型が生き残っていなかったのがまったくの幸運にすぎないということを、よくよく考えてしかるべきである。
    ひょっとしてチンパンジーが今日にいたってようやく発見されたとしたら、連中はいまごろ厄介な中間型とみなされているかもしれないのだ。



  • 引用文献
    • Dawkins, Richard (1986) :
        The Blind Watchmaker: Why the Evidence of Evolution Reveals a Universe Without Design. Norton. 1986.
        日高敏隆[監修], 中嶋康裕・他[訳]『盲目の時計職人──自然淘汰は偶然か?』, 早川書房, 2004.