Up | 「大量絶滅」 | 作成: 2020-08-17 更新: 2020-08-17 |
「何らかの大事件の突発が背後にある」と思わせるからである。 「大量絶滅」の発想は, 「生態系の進化」を,種を固定して考えることによる。 「生態系の進化」は,種を固定して考えると,「絶滅した種・生き延びた種」で説明するものになるのである。 「大量絶滅」の発想では,「生物の進化」が考慮されていない。 生物の進化は,「適応」である。 進化は,小さな変異の選択淘汰の累積として成るものである。 そして,顕著な形態変化が現れるまでの時間は,比較的短い。 関連して,「突然変異」のことばも,むしろミスリーディングである。 変異は,確率的に起きる。 確率の大きなものが「小さな変異」で,確率の非常に小さなものが「突然変異」ということになるが,この二つの間はグラデーションである。 十万,百万年単位の時間スパンなら,その前後で種の様相がすっかり変わっても不思議はない。 千万年単位の時間スパンなら,すっかり変わる方が当たり前である。 そしてこの「その前後で種の様相がすっかり変わる」は,「前の種の絶滅」ではない。 「漸進的進化」を主として見ることになるものである。 実際,「学者」は,時間を語りながら時間がわかっていないふうである。 「海面の下降により,浅瀬に棲む生物が絶滅」みたいなことを言う。 はて,その下降は,いったいどれだけの時間をかけた下降なのか? 1万年で100m の下降なら,1年に 1cm である。 1年に 1cm 程度の下降なら,生物はこれに適応していく。 この海面下降で起こることは,「絶滅」ではなく「進化」である。 「大量絶滅」では,「種の80%ほどが絶えた」のような言い方がされる。 ひとはこのことばを,何の疑問もなく受け入れてしまう。 理由は,シンプルな断言だからだである。 ひとは,シンプルな定言的表現に対しては,意味を考えずに受け入れてしまうものなのである。 絶滅種数の推移 問うべし──その「種」って何だ?と。 ひとは,いまの生物の種数も,知らないのである。 しかも「種」と定めているものは,人の生活に身近のものは区分が細かく,疎遠なものは粗い。 そして,未知の種がごまんとあって,それらは「種」にカウントされていないわけである。 「学者」は,一点を見て全体がわかったような物言いをする。 これが「学者」の商売だからである。 「学者」とは,もともとこういうものである。 「学者」は,事実を語る者ではない。 空想を語る者である。 「隕石の衝突で恐竜が絶滅」なんかも,空想。 ひとがこれを事実と受け入れてしまうのは,「学者」のことを<事実を語る者>と思わされて──騙されて──きているからである。
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