Up 人類衰亡の形 作成: 2021-02-24
更新: 2021-02-24


    盛者必滅。
    こうなるのは,「盛者」の構造が,自壊構造そのものだからである。
    「盛者」は,自分が拠って立つ土台を破壊する構造体である。

    ヒトの進化は,「盛者」のステージに至って,衰亡する。
    ヒトが「盛者」となって破壊する<自分が拠って立つ土台>──それは<生物であること>である。


    生物とは,繁殖 (自分の系統を残す) システムのことである。
    繁殖は,無目的である。
    《繁殖するメカニズムになっているから繁殖する》というものである。

    この繁殖は,競争になる。
    繁殖は,《繁殖に必要な資源が全個体に行きわたらなくなるまで,繁殖する》というものだからである。

    この競争の中から,性というシステムが進化した。
    そしてこの進化は,オスが<競争の戦士を担当する性>になるところまで進む。
    この種が拠って立つ土台は,《繁殖期にオス同士が熾烈な戦いを展開する》である。


    ヒトは,ヒトの進化史では<ごく最近>に,生産技術を進歩させるという方法で,《繁殖期にオス同士が熾烈な戦いを展開する》が無い生物種に進化してきた。

    この流れに対し,ヒトはこれを「正義」とするイデオロギーを紡ぐ。
    ヒトは,性差の否定を正義に掲げる生物種になる。


    性差の否定は,性差の否定にとどまらない。
    何事にも,論理的含蓄というものがある。

    性差の否定の論理敵含蓄は,家族の否定,結婚の否定,名字の否定,‥‥ である。
    そしてこれを総じると, 「繁殖の否定」になる。
    繁殖は,否応なく,性差の肯定になるからである。
    不正義を否応なく現すところの繁殖は,意識の暗黙部分で抑圧されるものになっていく。

    実際,結婚しない・子どもをつくらないが,現に社会の趨勢になってきているわけである。
    結婚しない・子どもをつくらないのは,経済的余裕がないから結婚しない・子どもをつくらないなのではない。
    今日ひとが結婚しない・子どもをつくらないのは,結婚する・子どもをつくることに意味がつかないからである。


    生物は,繁殖 (自分の系統を残す) を自己目的化するシステムである。
    ヒトは,このシステムではなくなった。
    ヒトは,生物の生きるではない生きるを,生きなければならない。

    さて,その生きるはどんなか?
    ヒトの生きるは,人工されねばならない。

    ここにおもしろいニュースが出て来た。
    「トヨタ未来都市」である。
    生物の生きるを失くしたヒトの生きるは,こんなふうに人工されるものになる。
    この場合は,《自分が仮想空間のアバターそのものになる》である。

    そして,もう1つの生きるがある。
    行政の手当で生かされる,である。


    ヒトの進化は,生物の生きるを失くして,別の生きるをつくり出した:
      <人工空間のアバター>を生きる
      <行政から生かされる>を生きる

    この生きるは,繁殖 (自分の系統を残す) の生きるではない。
    この生きるを生きるようになった種は,衰亡するしかない。

    盛者必滅
    盛者支配に長く忍従したきた者たちの解放