Up ヒトが AI をつくる生き物になれたわけ──<裸>の含蓄 作成: 2023-06-15
更新: 2023-06-15


    傳田光洋『皮膚はすごい』(岩波書店, 2019) のモチーフがおもしろい。
    引用にピッタリはまる文言が見つからないのでそのモチーフを要約すると,「裸は脳を大きくする」である。
    言われてみると,なるほどなと思う。


    脳は,情報処理装置である。
    末端の細胞から上がってきた情報を処理し,判断をつくり,末端に命令を下す。
    情報処理装置である脳の大きさは,処理する情報量に応じていることになる。
    処理する情報量を少なくすれば,脳は小さくて済む。
    多くの情報量を処理するには,大きな脳をもたねばならない。

    手袋は,手の感覚を鈍らせる。
    よって,手袋を着けることから出発した動物は,小さい脳をもつ。
    ヒトは,手袋を外すことにした動物である。
    手袋を外すことで,脳を大きくすることになった。


    しかし,「裸は脳を大きくする」には,まだ続きがありそうである。
    手袋を外して脳を大きくした生き物が,今度は手袋を常に着けることにしたとする。
    どうなるか?
    感覚が鈍った分だけ,情報処理に容量の余裕ができる。
    よって,脳はもっと小さくて済む。
    しかし,脳を小さくすることはせず,余裕のできた分を他の情報処理に回すという手がある。
    例えば,AI をつくるとか。

    こうして,つぎのようになる:
      手袋を着けることから出発した動物は,小さい脳をもつ。
      手袋を外すことにした動物は,脳を大きくしていく。
      手袋を外して大きな脳をもつことになった動物は,再び手袋を着けることにすると,AI をつくるようになる。

    この最後のケースが,ヒトである。
    いまヒトは,「安全・快適」のイデオロギーを受け入れ,裸をできるだけ覆うことに一生懸命である。
    マスクを常につける人種も現れた。
    この<裸の感覚の無用化にせっせと努める>には,空いた情報処理容量を他のことに回せるという報酬がある。
    こうして,ヒトは益々すごいテクノロジーを生み出していくことになる (笑; )


    というわけで,「裸は脳を大きくする」のモチーフでわたしがつくるテクストは,『ヒトがすごくなるのは皮膚を捨ててから』のタイトルになるのであった。
    ただしその「すごい」は,テクノロジーの「すごい」である。
    「すごいテクノロジー」の裏は,《ヒトはますます貧弱な生き物になる》である。

    「盛者必衰」の(ことわり)は,《盛者→衰者》ではない。
    《盛者=衰者》なのである。