- 似非科学
科学者は,研究資金を獲得するために,似非科学に逸脱する。
話を大袈裟にしないと研究資金の獲得が成らないふうになっているためである。
こうなるのは,競争主義の必然である。
- 無知と権威主義
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Marks (2002)
p.356
近代科学の大きな矛盾、それは科学者が科学について考える教育を受けていないことだ。
彼らは科学を行い、実行するように教育される。
彼らは色とりどりの光が点滅する機械を駆使してデータを集める方法を学ぶ──しかし知識がどこからくるのか、あるいは科学と技術の関係、科学的と非科学的な考え方の違い、あるいは自分の研究分野の成長発展についてさえ学ぶことはない。
これらはどれも人文科学の分野に属することで、科学者は一般的にそれを浸透的、非公式的、消極的に取り上げることが期待されている。
pp.371,372
近代生活における科学が単なる合理的思考でなく、官僚支配的に組織された合理的思考であることを人文科学は教えてくれる。
換言すると、科学は宇宙と科学者の両者についての事柄なので、合理的であるとともに社会的な過程でもある。
その結果として科学的な発言には、正確さと権威というこつのメッセージが籠められることになり、両者は必ずしも厳密には両立しない。
科学的言明は正確であるように努めるし、成功することは多い、
しかしそれは「常に」権威的だ。
なぜそうなのか。
科学者たちがそれを作るからだ。
このことが問題を生み出す。
もしも科学的な言明が、正確であるか否かに拘わらず常に権威的であれば、どの場合にそれを信ずるべきかは、どうやればわかるだろうか。
p.372
残念なことに平均的な科学者に責任を認めさせるのは、平均的な四歳児に責任を認めさせるのと同じくらいに難しい。
科学者は、
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権威的に話すこと、
とんでもないことでも言えるようであること、
同僚が発表したとんでもない言明をまかり通らせるか異論を最小限に止めるかして、次の発言も科学の権威を保ち続けるようにすること
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を欲している。
それは科学ではない──それは科学主義、つまり科学と科学者を無批判に信用せよということだ。
そしてここでは、それが問題にされているのだ。
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- 参考Webサイト
- 参考文献
- Marks, Johnathan (2002) : What It Means to be 98% Chimpanzee : Apes, People, and their Genes
- University of California Press, 2002
- 長野敬・赤松真紀 [訳]『98%チンパンジー 分子人類学から見た現代遺伝学』, 青土社, 2004.
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