Up 科学者は嘘をつく 作成: 2021-09-16
更新: 2021-09-16


    科学者は,価値のある新しい命題をつくることが仕事である。
    翻って,価値のある新しい命題を継続的につくらないことは,仕事をしていないことになる。
    仕事をしていないと見られることは,科学者失格と見られることである。
    失格者と見られることは,不遇を受けることである。
    こうして科学者は,「価値のある新しい命題を継続的につくらねばならない」をプレッシャーにしている者である。

    命題には,つぎの2種類がある:
    • 定理──公理からの演繹
    • 発見

    専攻分野が成熟するほど,価値のある新しい命題をつくることが難しくなる。
    科学者は,この困難を巧くやり過ごしていかねばならない。


    「不遇」には,2種類ある。
    集団 (業界) の中で受ける不遇と,集団の外で受ける不遇である。
    集団の員には,2種類ある。
    ごく少数の秀でた者と,大多数の並の者である。
    この構造が,一つのダイナミクスを生む。

    並の者は,多数を有利にして,結託という方法で<集団の中で受ける不遇>を無くすことができる。
    即ち,員同士は員のつくった命題を「価値のある新しい命題」と認め合うことにするのである。
    そして外に対しては,われわれは「価値のある新しい命題」をつくっていると吹聴する。
    外は門外漢であるから,この吹聴を鵜呑みにしてくれる。
    しかしこの結果,奇態な命題が世の中にあふれることになる。


    奇態な命題も,繰り返し唱えていると,科学者の集団の中でも<真実>と信じられるようになる。
    <真実>は,<事実>になる。
    こうして奇態な<事実>が世の中にあふれることになる。

    しかしこれは,「どうにかしなければならない」と考えることではない。
    「世の中とはこういうもんだ」と達観することである。
    世の中は,これ以外ではないのである。
    ひとは,奇態な<事実>を事実にして生きるものなのである。

    要点は,人間はあくまでも生物だということである。
    生物の生きるは,何が真実なのかを気にすることとは無縁である。


    「真実」の概念は,人の発明である。
    「真実」の概念は,なぜ発明されたか。
    「自由」の概念を持ってしまったからである。
    抑圧に対抗する上で,《真実を立てて抑圧を不条理にする》という方法論をつくった。
    これが「真実」の由来である。

    「真実」探求の行動──科学──は,「抑圧への対抗」として生まれる。
    馴れ合いの集団の中からは生まれない。
    科学者の集団の中から科学が起こるとしたら,それは<馴れ合い>を抑圧とする員からである。