Up 「宇宙の無限」をどう納得するか 作成: 2017-12-16
更新: 2018-01-02


    地球誕生が宇宙の始まりでないように,「ビッグバン」のようなものがあったとしても,それは宇宙の始まりである必要はない。
    「ビッグバン」を以て宇宙の始まりとする論は,<「宇宙の始まり」を欲する気持ち>がつくらせるものである。


    「ビッグバン」は,「宇宙の膨張」を逆溯行する発想である。
    しかし,宇宙の「膨張」は,中心のない膨張である。
    それは,「溯行」の概念が立たない膨張である。

    「ビッグバン」は,「中心のない膨張──等質な膨張」のロジックの無視である。
    そして,膨張の起点を絶対的に措定してしまう。


    「中心のない膨張──等質な膨張」「溯行の無い膨張」は,そもそも「膨張」の意味をもたない。
    実際,「宇宙の膨張」は,観測者を原点にしたデカルト座標の()()である

      「果てしなく広がる」は,数学的に閉じさせることができる。
      デカルト座標は,その種の座標によって相対化される。


    宇宙には,中心が無い。
    各点は,身分的に等しい。
    この意味で,宇宙は「一様」である (「宇宙原理 cosmological principle」)。

    中心の無い宇宙・「一様」な宇宙は,始まることができない。
    同じく,終わることができない。

    宇宙は,「始まることができない・終わることができない」の意味で,「不生不滅」である。

    このような物言いをすると,宗教でもおっ始めたかと受け取られるかも知れないが,そうではない。
    ここは,単純な論理を確認しているだけである。


    宇宙モデルを立てるときの要点は,「有限ならば互いの引力で収縮するはず──しかしそうはなっていない」の説明である。

    ニュートンは,「無限の均一」を頼りにした。
    アインシュタインは,「宇宙項」を立てた。
    現前の宇宙科学は,「膨張する宇宙」や「ダーク・マター」を頼りにする。
    これらに共通するのは,デカルト座標的空間モデル──中心から無限に拡がる非閉体モデル──である。

    一方,計量/座標次第で,宇宙は「どこまでも拡がるが,均質であり,そして閉じている」にもなる。
    自然哲学には「輪廻/不生不滅」タイプのものがあるが,これは「悪無限」を嫌うタイプの思想である。 ──実際,「悪無限」を嫌って「閉じている」にしようとすると,物事を「輪廻/不生不滅」にしなければならなくなるわけである。

    いずれにしても,宇宙は,ひとがこれについてわかっているようなことを言うと間違う──あるいは逆に,好きなように何とでも言える──という代物である。