Up 「土壌学」事始め 作成: 2024-03-14
更新: 2024-03-14


    自分の<生まれて死ぬ>は,一回きりである。
    地球・宇宙の歴史の時間スケールを聞かされると,自分のこの<一回きり>は奇跡である。
    そこで,この奇跡が何なのかを知らずに死んでしまうのは勿体ないの思いになる。
    そしてこの思いから,「わたしとは何か?」をいろいろな角度から探求するという行動になる。

    この探求は,科学のフレームを助けにしつつも,手当たりしだいでやっていくことになる。
    そうすると,最初は小さなテーマだったものがひじょうに大きくなるのを,しばしば見ることになる。
    大きくなるとは,いろいろな分野を学際的・思想的に集約するものになるということである。
    そしてわたしの場合いまこれを感じているのが, 「土壌学」なのである。


    ひとは土地を見ると,これから何を得られるかと考える。
    商品経済になると,「得る」は「収奪」の様相になる。

    土地は,「収奪」で蹂躙されると,不毛の地──サバク──になる。
    何が起こったのか?
    土が壊されて無くなったのである。


    ひとはサバクに水を通して苗を植えれば畑になり,木を植えれば森林になると思っている。
    そうはならない。
    生き物の<生きる>は,他の無数の生き物との共生である。
    土はその共生が実現するところである。
    そしてその土が破壊されたのが,サバクである。

    土は,岩石が砕けたものではない。
    土は,生物による有機物の生成・分解の場として,ひじょうに長い時間をかけて出来上がったものである。
    土は,その中に無数の生き物がいるというだけではない。
    過去の生物の営みが累積したものなのである。

    土は,できあがるのにひじょうに長い時間がかかる。
    しかし,人がこれを壊してサバクに変えるのは,一瞬である。
    サバクになると,もとには戻らない。
    「もとには戻らない」の意味は,「もとに戻る前に,人類は消滅している」である。


    「土地のサバク化」のいま最も熱いトピックは,レアアースの採掘である。
    ひとはレアアースの獲得に熱中し,サバクをつくる。

    このときひとは,つぎのように考えていることになる:
      レアアースの獲得は産業の生命線であり,
       土地のサバク化と釣り合う
    あるいは,サバク化については何も考えていないことになる。

    実際,皮肉なことに,ひとにとってレアアース採掘は「エコ」である。
    ひとはレアアースを,「脱炭素を実現するハイテクの材料」だと信じ込まされている。
    ひとの「エコ」の考えは,この程度のものである。


    いずれにせよ,人間は,自分の生業を<ひじょうに長い時間をかけて出来上がったものを一瞬にして破壊>と釣り合わせるようになっている。
    これは是非も無しとする他ない。
    他の生き物も人間並みに強大になれば,同じことをする。