Up はじめに 作成: 2018-06-28
更新: 2018-06-28


    善,倫理,使命,当為,規律,規格を唱える人間・組織は,迷惑である。
    <員として当然進むべき道>を立て,「この道を歩め,進め」を迫ってくるからである。
    この思考様式を,進歩主義という。
    進歩主義とは,このような思考様式を謂う。

    進歩主義者にとって,自分と同じような考え方をしない者は,矯正されるべき者である。 「この道を歩め,進め」は,絶対である。


    「この道を歩め,進め」を迫ってこられたら,どうするか。
    伏するのが嫌なら,理論武装の(てい)を示さねばならない。
    丸腰は,相手を図に乗せてしまう。
    アナーキストが馬鹿にされるのは,丸腰の(てい)だからである。

    理論武装といっても,これで戦うのではない。
    相手に自分を疎んじてもらうのである。
    泣く子と進歩主義者には勝てない。

    進歩主義の阻却は,正義の阻却と同じである。
    正義を阻却する方法は,「文学」か「科学」と決まっている。

      文学は,アンチ正義を立てる。
      科学は,正義を解体する。

    「保守・復古」──「オリジナル」──は,ダメな方法である。
    「オリジナル」の実体が無いからである。


    本論考は,以上の内容の論考である。
    ただ,これだけではつまらないので,趣向として本居宣長を引く。
    本居宣長の場合,「進歩主義」は「漢才(からざえ)」であるが,これを却けるのに「もののあわれ」と「やまとたましひ」が出てくる。
    「もののあわれ」は,「文学」である。
    「やまとたましひ」は,「オリジナル」である。
    というわけで,「文学」と「オリジナル」の両方が揃って,都合がよい。

    本居宣長を引くのには,併せて,本居宣長をPRしたい気持ちがある。
    進歩主義の阻却の論法は,「もののあわれ」論の中に,既にそっくりある。

    本論考は,これに,「オリジナル」の考えの阻却を合わせるものである。
    「やまとたましひ」は,「漢才」に「日本型」を対置する格好になる。
    この「日本型」を阻却する論法を整えてみようというのである。