Up 数学そのもの 作成: 2018-06-30
更新: 2018-06-30


      本居宣長『古事記伝』一の巻,「訓法(よみざま)の事」
    かにかくにこの漢の習気(ナラヒ)(アラ)(スツ)るぞ、古学(イニシヘマナビ)(ツトメ)には有ける。
     ‥‥
    語にかゝはらず、義理(コトワリ)をのみ(ムネ)とするは、異国(アダシクニ)の儒佛などの、教戒(ヲシヘゴト)の書こそさもあらめ、大御国の古書は、(シカ)人の教戒(ヲシヘ)をかきあらはし はた物の(コトワリ)などを(アゲツラ)へることなどは つゆばかりもなくて、たゞ古を記せる(コトバ)の外には、(ナニ)(カク)れたる(コゝロ)をも(コトワリ)をも、こめたるものにあらず。
     ‥‥
    (タゞ)いく(タビ)も古語を考へ(アキ)らめて、古のてぶりをよく知こそ、学問(モノマナビ)(ムネ)とは有べかりけれ。


    ここで,つぎの読み換えをする:
      「漢の習気」「異国の儒佛など」→「学校数学」
      「古」→「数学」

    「語にかゝはらず、義理をのみ旨とする」は,学校数学の唱える「数学的○○」がこれにあたる。

    そして,「唯いく度も数学という言語を考へ明らめて、数学のてぶりをよく知る」が, 「数学の勉強の要諦」である。

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